為すべきこと

おはようございます。

「にんげん学」東京講座ご出席の皆さんありがとうございます。数日籠もっていましたので開放感にひたりながら昨日新幹線に乗りました。皆さんにお会いできることがいかにありがたく楽しいことであるかということを実感。
本当にありがとうございます。同志に出会えることがこんなに嬉しいことかを改めて感じました。
「為すべきこと」。
先日勇気と言うことを書きましたが、勇気は悪に立ち向かうことも勇気ですが、自身が為すべき事を為すことを勇気だということも改めて知ったようです。為すべき事をできないという事態が生じたとしても決意を決して弱めない、無くさない、諦めないことが勇気だと数日の間考えていました。
方法とは一つだけの方法を言っているのではありません。方とは「正す」という意味です。法は変わりませんが、その変わらない法を正すのが「方」です。いわゆる「方向を変えて進む」ことが「真実の方法」です。「窮すれば変ず、変ずれば通ず」ということです。
一つの方法で、ダメだ、これで終わりだと考えるようでは法を生かしていないのです。そのようでは目標を達成しようという意志が弱いのかもしれません。意地を通すのであれば、学んだことを生かすには方向を変えてでもやり通すべきなのです。
昨日学びました論語、衞霊公第15「陳(ちん)に在(あ)りて糧(りょう)を絶(た)つ。従者病(じゅうしゃや)んで能(よ)く興(た)つこと莫(な)し。子路(しろ)慍(いか)って見(まみ)えて曰(いわ)く、君子(くんし)も亦(ま)た窮(きゅう)すること有(あ)る乎(か)。子曰く、君子固(くんしもと)より窮(きゅう)す。小人(しょうじん)窮(きゅう)すれば、斯(ここ)に濫(らん)す。」
意は「孔子は陳の国に赴いた。たまたまこの時は呉の国が陳を侵犯する事件もあり、騒乱の際、旅中において食糧が欠乏し、孔子の供をしている者達(恐らく全部、門人であろう)は病み疲れ果てて、起ち上がることもできない。子路はこの状態に心苛立つまま孔子に向かって、道を行う君子にも困窮することがありますか。これでは天道の是非が疑われます、と詰め寄った。これに対して孔子は、道を行う君子ももちろん困窮することはある。それは別に怪しむに足りない。ただ小人は困窮すると、必ずいい加減な、したい放題のことをするが、君子はそういうところがない、と言って、子路のいらだった心を静めると共に、これを諭した」。
いかがですか、人生孔子ほどの人間でも困窮することがあるのです。況んや凡人である私たちに於いてをやでありましょう。目標を確かにしていれば困窮することがあったとしてもうろたえることなどはないのです。
写真は快晴の中の冠雪した富士、昨日の「ぶら和尚」は上野動物園、駅から降りた途端目に付いたのが「パンダの顔の肉まん」、そして上野公園の入口にあった「蛙の噴水」、実物のパンダです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。




※申し訳ありません。再び明日から火曜日までブログお休みします。来週の水曜日から再開しますのでよろしくお願い致します。                再拝