朝目覚める楽しみ

おはようございます。

昨夜は大阪の帝国ホテルで行われました「梅谷裕子ディナーショー」にIさんご夫妻とご一緒にでかけてきました。素晴らしい歌と食事、一年に一度の心身共に豊かになる一時。Iさんご一緒いただきありがとうございます。
梅谷裕子さんは心華寺の新年2日の初祈願祭で奉納演奏くださいます梅谷忠洋先生の奥様、ソプラノ歌手、裕子さん素晴らしい歌声ありがとうございます。新年2日に又素晴らしい歌声をご披露ください、楽しみにしております。
久しぶりに寺を離れ、一人の時間を持ち、遠い過ぎし日を思い出す一週間。小学の時、中学の時、勉強が嫌いな時、体力もなく体操も遊びも嫌い、そして外に出たくなかった時、外の世界に好きなものが何一つない時・・・。
「朝目覚める楽しみ」。
私は学校で勉強することは嫌いでした。今思い返してみますと、学校で勉強することは嫌いでしたが、家で勉強することは好きでした。勉強すると言っても普段学校でやる勉強ではなく、好きな本を読むこと、そして好きなことを考え夢見ること、それが好きで、それが私の勉強だったように思います。
子どもの頃から朝起きる、朝目覚めることが大好きでした。本を読む、好きなことを思う、そのために起きるのが好きだったのです。誰のためでもなく、自分の為に起きるのです。早起きが仏道の世界に入る遠因になったのかも知れません。
今は寺にいれば祈ることが大好き。祈りは未来に勇気をもたらすからです。そして人に希望を与えるからです。また親や子ども愛する人のことを祈る人に出会うことが嬉しく、人とはなんて素晴らしいのだろう日々実感出来ることに幸せを感じるのです。そして一番は無心に、そして安楽をもたらすからかもしれません。
無心になると自由を感じるのです。私は元気に明るく過ごすことが勤め、使命だとも思っています。そして人様が私を見て勇気を、やる気を持ってくれたら嬉しいと考えるのです。
一日を本を読んで考え過ごすことが楽しかったのです。だから朝起きることが大好きになりました。学校での勉強は今一つ所か、三つ、四つで恥ずかしい限りでしたが、好きな本を読み考えたお陰で、友だちに出会い、「ヘレンケラー物語の、奇跡の人」の映画にも出会い、そのことで普通の勉強もするようにもいつしかなっていました。
修業時代もいつも人の後ろ姿を見て、憧れ遅れないように歩いていました。足跡をたどる、探し求める喜び楽しさも教わったようです。
人生は「スピン、回転」です。コマが中心を持って回っているように、私は学校の勉強を中心とすることは出来ませんでしたが、自分を中心にして日々楽しく過ごしたことにより、他を受けいれるという、どこでも自分の中心を見失わず今まで歩んでこられたのかななどと、一人考える時間を与えられたことに感謝しました。皆さん時間をいただきありがとうございます。
好きと嫌いと半々が人生、天はそのように采配しています。周囲のことが嫌いになるときもありました、外に出たくなくなるときもありました。だからといって自分の好きなことをやめないでよかったと、感謝する一週間、そのお陰で今では人が大好きです。人様は私にとりすべて「お手本だから」。素晴らしい人に親しみ従い歩む希望がふつふつとわき上がるのです。
無知になり無欲になって(難しいことですが心がける)歩み、人と競争するような不毛な知的欲望を捨てれば、不安定な人生とすることはないのだと、振り返って思いました。
朝目覚める楽しみとは言葉を換えれば「難しく生きない」こと。「自分を磨く、高める、このことに愚直に在ること」です。自分を生きるということは、簡単で以外と難しいかもしれません、それは「良い子に見られない」ことを要するからです。良い子に見られたいと考えたときから自分を生きることを放棄することでもあるのではないだろうかとも思うのです。
明日は「心華大祭・採燈大護摩法要」午前10時からです。外で修します大護摩、是非おまいりください。大火炎の迫力にすべての災厄が滅せられ、煙の香りが神仏を引き寄せる香りと為します。大きなご利益をいただきましょう。今日も素晴らしい一日でありますよう。
昨日も信者のKさん、Tさん、Sさん、大阪のYさんが「仏器磨き」のお手伝いをくださいました。皆さんありがとうございます。陰徳は最大の功徳、ご奉仕の徳は天の宝庫に蓄積され必ずや皆様の頭に天下ります。明日もおまいりとお手伝いよろしくお願い致します。
写真は銭洗い辨財天様の前に咲いています「ツワブキの花」と「ゆず」です。明日おまいりの時ご覧になってください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。