二つの恩

おはようございます。

昨日寺に帰り早速誠澄の顔を見ました意外と元気な表情に安心、今日あたりから厳しくなるのではと私の経験上察しています。日々の暮らしでも同じ事がいえます、経験したから、知ったから人生楽になるのかと云えば、そうは問屋が卸しません。
慣れと云う事はあるかもしれませんが、断食・断水・不眠・不臥の行だけは慣れはありません、人生同じような似たようなことはあったとしても同じではないのです。ですから慣れで事を進めるようでは行にもならず、仕事の世界でいいますと、惰性となり仕事とはほど遠いものになるのではないでしょうか。失敗の本を作る事になるのです。
帰って嬉しい事がありました。Iさんが毎日お掃除に来て下されているのです、その姿を目の当たりにして感動です。誠澄一人ですのでハードなことができない故、見るに見かねてのことでしょう。信とはなんとありがたいことでしょう頭が下がります。
「二つの恩」。
こころ豊かに日々安楽に過ごす人と、不安定な日々を過ごす人がなぜできるのでしょうか。それは「報恩」の行動があるか否かで分かれるのではないでしょうか。師匠に教わったことの中で大切にすべきことは教えすべてであるのはもちろんですが、とりわけ「報恩」が大事と考えています。
私は叡山下山後時おり書いておりますが、誰一人として寺に訪ねてくる方もおりませんでしたが、人様が来ないから仕事がないのではありません、私はこのように教えを受けました。
「今ここに在る」という感謝を思えば、生活させていただいている「場所に感謝し、今までの恩を思うこと」が大事なのだと教えられたのです。ですから、寺での一番は「一に掃除、二に掃除、三に掃除、四に掃除」それが今まで修行させていただいた恩返し、報恩であるということです。
何かを得てから報恩をするのは当たり前の当たり前であって、それよりも今まで「生活し、学び、暮らしてこられた事への恩が大事」だということです。
恩はこの二つよりはないのです。今までの恩と、そしてこれからの恩です。ですから、云うまでもないことでしょうが、今日までの恩を感じない人は貧しい人生を迎えることにしかならないのです。
何もないから、誰も来ないから恩を感じないのではなく、「今日までの恩を恩と感じないような人間にはなるな」という教えを大事にしています。ですから日々為すべき事がなくならず楽しく過ごせるのです。
今日も皆様にとり輝ける一日でありますようお祈り致します。昨夜からの満月がお星様と競演しています、満月のようにお星様のように耀いてください。
今日は12月2日の「大根焚き」法要で使います「大根」を信者のKさんが作ってくださっていますので、大根ほりと、洗いの作業です。皆さん是非ご奉仕にお出かけ下さい。
心華寺の「大根焚き」は大根から、「おにぎり」のお米まで信者さんが「大根焚き」のために丹誠込めて作ってくださっておられます。その上に誠澄の決死の祈祷、「がん・中風・ぼけ・認知症封じ」のご利益は当然くださるはずです。12月2日のおまいりをお待ちしております。
写真はJR宇治駅前にあります「茶壺型のポスト」。珍しいのでパチリ、宇治へ来られたおりには是非見てください。そして心華寺の色づいた銀杏と南天です。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。