虚言益無し

おはようございます。

今朝の誠澄は少し「ありがたい世界に入りつつあります」。仏の世界に入ってきた様相です。
Kさん昨日は「大根」ありがとうございます。見事に大きく育った大根を拝見し丹誠を込めてお作りいただいたことが直ぐわかりました、感謝申しあげます。
また大根堀り、洗いをお手伝いいただいたTさんYさんKさんありがとうございます。これから12月2日まで大変ですがお手伝いよろしくお願い致します。
大根を拝見し、ふと思いました「中庸」に書かれてある語で、二宮尊徳が大切にした中庸の思想、「誠は天の道なり それを誠とするは 人の道なり」という教えです。
天は万物に誠を尽くすのが道でありますから、畑には雑草も生えます、天の道である誠を誠とするには「草引き」という人の道があってこそ大いなる稔りが得られるのです。天の道、人の道は誠に誠があり、誠を持って対すれば誠で応えてくれるのです。誠意には誠意で応えてくれるのです。それが「道」なのです。人の道は「しなければならない嫌なことでもし、してはならないことをしない」のが人の道です。
「虚言益無し」。
私たちの世界では「戯論(けろん)」を厳に戒めます。言行一致しないことを戯論といいます。昨今の大人をみておりますと、戯論、虚言を多くしているのではないかと嘆いてしまいます。
立場に在る人でさえも「ウソを言っても差し支えない」というふうに感じて仕方ありません。なぜこのような現実となってしまったのかと考えてみますと、聞く方にも「ウソがある」せいではないでしょうか。ウソと嘘だから、何の滞ることもなく言い合えているのではないかと感じます。同じウソの仲間同士のつきあいだからでしょう。
もしウソをもって実に対しますと、ただちにさしつかえるのです。たとえば百枚の紙から一枚とれば知れないようですが、九十九枚目にいたって不足がわかるのです。昨今の政治家は皆このように見えます。
収入が10万円しかないのに、15万円使いますと、月末や年末までわからないかもしれませんが、月末、年末になるとその不足があらわれるのです。ウソが実に対することができないのは、このように必ずウソは明らかになるのです。
貧となり富となるのも偶然ではありません。富みも原因があって生じるのであり、貧も原因があって生じるのです。人はみな、財貨は富者のところに集まると思うが、そうではありません。節倹するところと努力するところに集まるのです。
虚言を言わず、戯論とせずに歩めば富者となります。「中庸」にまたこのようにあります「誠なればすなわち明らかなり。明らかなればすなわち誠なり」と。
世の中の人は「今ないものもない原因を知るべきである」のです。「いまある物はいまなくなり、いまない物もいまにあるようになる」のです。たとえばいまあったお金がなくなったのは、「物を買ったからであり、お金を使ったからである」。いまなかったお金がいまにあるというのは「働いたから」であるのです。知識を得たとしても私心、私欲に惑えば誠意を持てず、明らかにものを見る目を亡くすのです。
故に言葉を知ったからといって、道理に対し誠がなければ益はあり得ず、虚言は行き詰まることを知るべきです。戯論を言わず、言行一致を為すためには身近で出来ることを着実に誠意を持って対しましょう。そうすることで大言が大言でなくなるのです。
写真は畑の様子と、皆さんが取り入れてくださっている様子です。そして見事な丸大根、Kさんありがとうございます。12月2日はご利益があり美味しい「大根焚き」となることでしょう。午前10時からです、お待ちしております。今日も素晴らしい一日でありますよう。
明日「大根焚き」の大根切りを行います、午前9時にお集まりいただきお手伝いいただければ幸いです。よろしくお願い致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。