至誠

おはようございます。

今日は、がん・中風・ぼけ・認知症封じ「大根焚き」お灸鉢かぶり法要。午前10時からです皆様で是非おまいりください。
弟子・誠澄の決死の祈願修行の満行日。「33キロ懺悔練行」、一週間「断食・断水・不眠・不臥」を行じた行者から発する「気」を受け神仏と一体となった「形相」を拝み「お灸鉢かぶり加持」を受け心身健康をお受けください。そして「大根焚き」を食べ心身の健康をさらにお腹の中からも体感ください。
「至誠」。
人生の充実はやはり「至誠」につきます。何事の成就もこの至誠の精神がなければならないのです。事業の成功、政事での成功も学問や知識は二番目で至誠が一番でなければいけません。至誠奉公の精神が一番肝心なのです。
至誠とは何も人にいう事ではなく、自身の生き様。至誠でなければ一定した方向性もなく、いつもフラフラと周りに振り回され、人をも振り回す、そのような人間が信用されるはずもありません。
至誠があればお金や地位などに惑わされず、惑わされないからといってお金や地位が付いてこないかといえば、そうではなく、そのような事では動かないということで、自分の力量にあったことで至誠を尽くす、奉公すると云う事だから、虚言を言わない、言葉を弄しないということで、逆に認められ、結果的にお金も地位も得られるチャンスが巡って来るのです。
誠澄が12年も苦しい行を行じているということはこの至誠に他ならないのです。心華寺で修行をしたからといって位が上がるはずもないのですが、ところがどっこい、人間の格というものが上がる、人間の格というものは、誰が与えるものでもなく、自然に授かるもので、これには常の至誠がなければいけない。
世間でいう位は人から授かった者で、人が気にくわなくなったら位も無くなるのであって、そんなものを人間の位とは言わないのです、しかし人の与えた位に目が眩んでいる者が多いのが現状で情けない限りではある。
「お金もいらない 名誉もいらない 命もいらない こんな奴でなければ役に立たない」と言ったのは「西郷隆盛」。
要するに至誠の精神を持たない者は何をやっても早い話がダメということです。己の歩む道を真っ直ぐに歩めなければいくら学問知識をやっても活かしようがない。「至誠天に通ず」です。
午前10時から至誠を貫いている誠澄のパワーあるお加持を受けにおまいりください。
写真はお加持に来られた皆さんに行者手ずから差し上げて欲しいと愛媛・八幡浜のOさんから五箱「一生園・日本一みかん」を奉納いただきました。Oさんありがとうございます。Oさんの健康、商売繁盛をお祈りさせていただきました。
そして門を入って直ぐ目にする楠の大木、霊気の下で「大根焚き」を召し上がっていただきます。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。