打ち込む

おはようございます。

法要が終わりますといつも感慨にひたります。皆様へどうすればもっともっとお返しができるだろうかということです。近隣の方々はもちろん全国からご祈願、おまいり、お手伝いと来てくださる。
やはり、どう考えても日々の勤めを怠らないことだとしか思いつきません。皆さんの多幸を成就するにはやはり日々の積み重ね、積小為大、小さな事、日々を疎かにせずに勤めることが大きなご利益を得ていただけるのだという思いを強くしております。
今までの恩を思えばやはり今を大事に祈る、これしかないと決意を誠澄共々にしました。本当にありがとうございます。そんな気持ちで今日は雨の中誠澄は満行の「お礼参り」33キロを歩いてもうすぐ帰ってくるころです。お礼参りは満行よりも大事なことなのです。
「打ち込む」。
打ち込む、とは何も討ち入ることではなく、何事にでも無心に取り組んでいるかということです。先日満行した誠澄は私に言われたから修行をしたのではなく、自らが発心してのことです。人生はこの姿勢、打ち込むことが大事です。
自分で自分の人生に打ち込んでこそ、反省し、修養もなるのです。なぜこのようなことを書くかといいますと、私たちは案外精神が散乱しやすいものだからです。ものに打ち込むということは難しいものです。
私たちの世界に「止観(しかん)」という言葉があります。これは「とどまりてみる」ことであるのですが、実はものに打ち込んで一体になることで、ものに打ち込んで、ものと一つとなって、ものをその内から観る叡智・直感をいうのです。
修行に打ち込むことで、相談に来られた方々にアドバイスをさせていただきますときに、「どうすれば更に善くなるかが直感できるようになる」のです。機械の熟練技師の方もそうであるようです、機械をいちいち分解しなくても、機械自身がどこが悪いということを訴えるといいます。すべてそこまで行かなければいけません。
それは修行に、仕事に打ち込んでいるかどうかから始まるのです。それ故に直感に磨きをかけ、発達させることができるのです。打ち込むということはこれほど大事であります。どうぞ皆さん一年の総括をされ、どれほど打ち込んできたのかをじっくりと反省してみては如何でしょう。
仕事相手に恵まれない、仕事運に恵まれないなどと嘆いておられるとするならば、それは日々打ち込むものを持っていないという事が考えられます。人を見抜くことは難しいことですが、打ち込むことによって反省し、修養がなり相手にオーラを自然に発することができるようになり、良い出会いのチャンスを多くすることは間違いはないのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
写真は先日のお加持。