楽しむ

おはようございます。

今朝のお月様はテレビのCMに出てくるようなどんぶり形をしていて微笑んでしまいました。自然は時には厳かに、そして微笑むような姿を見せてくれる、凄いですね、思わず手を合わせました。
私は仏道、仏の道を歩んでいます。道というものはありがたいもので、ひたすら歩めばその教え示す処に到達する。いつ到達するのだろうかなどと疑ったこともありません。到達できるのは自分のペースです。
又どんな道でもでこぼこや障害があり、自身が脇目をすることもあり又思わぬ不覚をとることもあります。しかし道を歩むことを止めなければ必ず到達するのが道。多くの先人がそのことの手本を示してくださいました。
「楽しむ」。
私は道を歩むことを楽しんでいます。先日の法要も道を歩んできたからこそ多くの人と出会いをいただきました。道に私欲を差し挟んだことなどはありません。仏の道を歩んだお陰で出会えたのですから、感謝ばかりです。
「孝経(こうきよう)」(孔子が説いた)に、「孝弟(こうてい)の至りは神明に通じ、四海に光り、およばざるところなし」。意は「孝弟の極に達すると、鬼神にも感通し、その徳は世界中に耀き、感化をうけないところはない」。
孝とは親の恩に報いる勤めです(先人の恩に報いる勤め)。弟(てい)とは兄の恩に報いる勤めです(先輩の恩に報いる勤め)。すべて世の中は、恩に報いなければならない道理をよくわきまえれば、百事が心のおもいのままになるのです。この教えは先ず身近なところから始めることだと教えているのです。社会の何事も身近な世界から始まるのです。何事も一歩からです。
恩に報いるというのは、借りた物に利息を添えて返して礼を言い、世話になった人にはよく感謝の形をあらわすことなのです。報恩から発想、工夫が生まれるのです。報恩の気持ちがありませんと、時間は止まったまま、何の進歩も進化もない人生を自ずから招いていることを知ることです。
すべて恩をうけたことを考えて、よく報いるとき、「世界の物は、実にわが物と同じく、何事も欲するとおり、思うとおりになる」。こうなりますと、「神明に通じ、四海に光り、西より東より、南より北より、思うて服せざることなし」となるのです。先日も東西、南北を問わずお出でいただきました。
私は、研修や講演のおり、冗談、笑い話で「人の物も私の物、私の物も人の物、私の物は私の物」といって笑わせていますが、この教えから、自他不二、すべてに報恩、大事にしているのですよ、という気持ちのお話なのです。
明日は「にんげん学」一宮講座、今年最終講座です万難を排してご出席ください。今日も素晴らしい一日でありますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。