日常基本

おはようございます。

今朝も冷たい風が吹いている朝です、昨朝今年初めてお勤めのとき手の冷たさを感じました。いよいよ本格的な冬、お風邪など引きませんようにご用心下さい。予防、何事も予めすることは大事です。
人生、この予め予習如何で大きく左右されるのかもしれません。予習とは専門学習はもちろん大事ですがやはり「人としての在り方が」人間関係を強く固くし、能力が発揮、生かされるのではないでしょうか。
「日常基本」。
私はどなたに対しても「同じスタンス」を持って接するようにしています。とは言いましてもやはりお付き合いの程度に違いが出ることはある程度仕方がないことで、「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」と夏目漱石が嘆いたようにしないために、スタンスが大事です。
寺で以前皆様にお配りしましたお茶碗に「日常の五心」というものを書き差し上げたことがあります。
日常の五心
1、ハイという素直な心
2、すみませんという反省の心
3、わたしがしますという奉仕の心
4、おかげさまですという合掌の心
5、ありがとうという感謝の心
の五つです。とても簡単な言葉です。これを日々私は基本態度として生活しています。このことを予め行動の心得としていますとほとんどの人間関係が良好になるのです。「実れば稔るほど頭を垂れる稲穂かな」と人生は在るべきなのですが、どういうわけか少し収入が増えたり、社会的に特定な場所での地位が上位にいきますと、どうしてか皆一様に「頭が高くなり、態度が大きくなり」そして「品格が下がり、ダメになる」のです。
先日も書いていますが「地位」というものは、人から与えられると錯覚している方が多いので、威張り頭が高くなってしまうのかもしれません。
そして「五心」を忘れ、元の木阿弥どころか、スタート時点のように未来を輝かしい物として捉えることが出来なくなり、失意のどん底に陥ってしまうことになる。
このような愚かな人生としないためにも「五心」を常とし、私はどなた様にも接しています。世間の皆様がおられたからこそ「人間性を磨き高めることが出来た」のです。そのことを思えばとてもとても「頭を高くする」などというのは、滑稽以外、何物でもないのです。
日常、平常の行動を無意識に「日常の五心」で過ごすために静かな声で音読し、「よし」という静かな心で意思を統一し気合いを入れ今日一日、今日一日と人様に接するようにしてみては如何でしょうか。どんなに専門知識を得たとしても人としての魅力が豊かでなければお付き合いの輪を広げることは出来ません。
今夜は「にんげん学」一宮講座、五心を確かにする学び、一年の納めです。会場でお待ちしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。