朴訥

おはようございます。

昨日夕方また東北の太平洋側に大きな地震があり津波警報がでました。一瞬昨年3月の恐怖が蘇ってきました。何事も無く収まってくれればと祈るばかりです。皆様には心よりお見舞い申し上げます。くれぐれもお大事ください。
やはり年末ですね、別れるときには「よいお年をお迎えください」との挨拶、別れるのは寂しいことですが、よいお年をお迎えください、というフレーズは何となく心がほんわかして、又来年会えるのだという思いがしますから好きな言葉です。
言葉というのは考えてみますとこれまたいろいろなインパクトを与えますし、感じます。だからこそ言葉遣いは気をつけなければいけません、しかし昨日も書きましたが、「巧言令色」であってはなりません。
「朴訥(ぼくとつ)」。
素晴らしい言葉は素晴らしいのはもちろんですが、余りにも饒舌(じようぜつ)すぎるのは感心しません。論語、里仁第4、24条に「君子は言(げん)に訥(とつ)にして、行(こう)は敏(びん)ならんと欲す」と。意は「リーダーは能弁であるよりも、行動で示そうとするものだ」ということです。
昨今のリーダーとおぼしき人は多弁すぎるきらいがあります。人の過ちを滔々(とうとう)と非難することが立派な意見だと思っているようにも思えるのは、私の穿(うが)ちすぎる見方であれば良いのだがとテレビやラジオ、スピーカーから聞こえてくる言葉を聞いて感じています。非難の言葉を聞いて正言であると勘違いしないようにしなければなりません。
こんな言葉も「君子は人の美を成して、人の悪を成さず。小人は是に反す」。顔淵第12、16条。意は「よいリーダーは人の長所を伸ばし、欠点をなくす手助けをするが、ダメなリーダーはその反対ばかりする」。
また「君子は言を以て人を挙げず、人を以て言を廃せず」、衞霊公第15、23条。意は「よいリーダーはよい意見を言ったからといって、その人をうかつに持ち上げたりはしない。と同時に、誰の発言であっても耳を貸し、よい意見なら公平にとりあげる」。いかがです、私たちは人様を見るときもこのような孔子の言葉を大事にして見るべきです。
思いやりとは「言行一致すること」。言行一致の人はだからこそ「訥弁」になるのです。軽々しく耳障りの良い言葉ばかり発しません、それほど言葉に責任を感じているのです。
言葉を発する事は親交を深めたり、お願いをしたり、されたりという、言わば交際することでの必要不可欠なものが言葉。会話一つで気持ちよく、人様が引き受けてくれたり、気を悪くしてしまったりという事です。
言葉を発する心底には相手を「思いやる精神がなければならない」ということです。自分の欲を達成するためではいけません。言葉を発する以上、その立派な言葉に恥じない行動が伴っているかどうか、が問題なのです。思いやりの心を持ち、人様との会話を年末は特に交わしたいですね。今日も素晴らしい一日でありますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
写真は余りにも鈴なりになった小粒の柿の実が可愛らしかったのでパチリです、小鳥たちのために残しているのでしょうか?。