不自由だった

おはようございます。

故郷に帰るとどうしても幼少の頃を思い出します。今日あるのは貧しかったことが大いに関係しているのではないかと思っています。日本中が貧しかった時代、親にねだっても買ってもらうことが少なく、行きたいと思っても連れて行ってもらえなかった時代。
だからこそ「よし」と必然的にやる気が起きたのではないかと、今になって感謝しています。
「不自由だったから」。
勉強も出来ず、身体能力も低く、そして家が貧しい、このように書きますとどうしようもなく先行きが真っ暗という感じですが、そのような状況だったからこそ、静かに心の中に秘めた決意ができたのかもしれないと考えています。
子どもを不幸にするには「買いたいものを買い与え、行きたいところへ連れて行く」、そうすれば大人になってよほどのことがない限り待っているのは不幸だけかも知れません。
自分が精進して手に入れることを夢見ることほど楽しいことはないからです。「いつかは、いつかは」という思いをするのが人生ではないでしょうか。
論語、衞霊公第15、15条「心から己の足らざる事を悲しんで、積極的に道を求める情熱の起こってくる者でなければ、これを教え導いても無駄である」と孔子は嘆いています。このように必死でなければ主体性を持って一途に学ぶこともないのではなかったかなとも、足らざることを感謝しています。
M&Uスクール受講生の皆さん最終スクールお疲れ様でした、お元気によいお年をお迎えください。ありがとうございます。皆様が今日も素晴らしい一日でありますようお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
若い頃初めて山形を旅立ったときあの山の向こうに希望を多く見て列車に乗りました、故郷に帰る度に夢と希望が湧いてきます。