現在を

おはようございます。

昨夕から下関、愛宕寺に入っています。26日の夕方まで愛宕寺におります。どうぞおまいりください。
一年早いですね、予定を立てますと確かに人生と取り組むことができますので予定を立てることは大切です。予定を立てませんと流されてしまい、一年を経ても何をやっていたのかもわからないままに終えてしまいます。
反省も修正も改善もできないようでは同じ過ちを繰り返すだけ、年を経れば経るほど友を失い、仕事をも失うことになります。年を経て寂しい人生と為すことほど悲しいことはないでありましょう。旅は道連れ世は情け、人生の旅に友は大切です。
「現在を楽しむ」。
今の「境地」を楽しむことが出来なければ楽しい未来を描くことはできません。今を楽しむこととは「夢中になるものを持っている」ということです。足下の一歩から富士の頂上につながり、すべての目標につながっています。
論語、述而第7,18条に「葉公(しようこう)、孔子子路に問う。子路対(こた)えず。子曰わく、女爰(なんじなん)ぞ曰わざる。其の人と為(な)りや、憤(いきどお)りを発して食を忘れ、楽しみて以て憂(うれい)を忘れ、老(おい)の将に至らんとするを知らずと云爾(しかいう)と。」
意は「葉公が、孔子の人物を子路に尋ねた。突然の質問でもあり、又おのが師に対する批評でもあったので、さすがの子路も答えかねた。後からその話を聞いた孔子は、子路に教えて言った、なんじは何故このように自分を説明してくれなかったのか。孔子という人物は、道を求めて未だ得ない場合には、心を奮い起こし、それに熱中して食事も忘れるほどである。又一度その道を得ると、よろこび楽しんで、そのために一切の心配事を忘れてしまう。このように年々刻々求道の心に燃えて、年波の寄るのにも気づかずにおる、ただそれだけであると、何故言ってはくれなかったかと。」。
孔子という人は極めて謙遜の人であったが、ただその求道の熱意においては、深くみずから任じていた。而してその態度の中に、又おのずから人を教える道が存したのでありましょう。率先垂範はリーダーの心得でもあり、姿勢でもあります。孔子の偉大さですね。
食を忘れるということは、すなわち、己が貧しいか否かにとらわれないということであり、一切の心配事をわすれるということは、すなわち、己が苦境になるか否かにとらわれないということでしょう。そして、老いを忘れているということは、すなわち、生死にとらわれていないということです。私もこの境地に到達できないことはないと考え毎年年末に「断食断水」を行い八千本の護摩を焚き上げます「八千枚護摩供」を修すのです。
愛宕寺入山以来皆様にご利益をいただいていただくため楽しんで行をしています。明日22日お昼から24日正午まで五座の護摩を修します。是非おまいりください。今日も皆様にとり素晴らしい一日でありますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
写真は下関駅前にある「フク」のモニュメント、新発見でした。何か面白い写真を撮ろうとするようになったから目に入ったのでしょう。新たなことにチャレンジすると視野が広がるのですね。昨日は良いお天気でしたので寺まで歩いて帰り、駅前の歩道橋の上に在る「平家踊り」と歩道にあった四つの蓋をパチリ。