己を知る

おはようございます。

昨日は冬至、子どもの頃母が「冬至カボチャ」と称して、あんこと一緒に炊いてくれたことを思い出します。小豆も体にいいですし、カボチャもいい、何はともあれ私は甘いものが好きですので冬至カボチャが大好きでした。昨夜は「ゆず風呂」にも入りました、香りが何とも言えません、これは子どもの頃には余り思わなかったことですが、年を重ねたからでしょう。
二十四節気の一つを食べ物の美味しさやお風呂に惹かれ忘れていないようです。節気の催事も大切ではないでしょうか、古人の知恵が詰まっています。
今日お昼から「断食断水」を三日間行います。それを行いながら皆様から祈願をいただきました「八千本の護摩木をお焚き上げ」します。人生は自分を自分で管理することで目標が達成できると先人の歩みから学び感じています。いわゆる己をコントロールすることです。
全国から添え護摩祈願を寄せていただきました皆様、確かにお祈りさせていただきます。ご安心ください。
「己を知る」。
私は私を欺きたくない、偽りたくないと考えています。慈悲とは「己を忘れて他を利する」ことだとは伝教大師様の教え。また「自利利他(じりりた)」(自分の利が人様の利となること)が菩薩道だとも、僧門に入門以来「こう在りたい」と考え行動し続けています。
己を知るということは、「世俗から離れ、孤独に身を置き自分を見つめ直すことではありません」(時には大事ではありますが)。人は、家庭や職場、地域などあらゆる社会生活の中に身を置くことで、「自分という人間が見えてくる」のです。自分と人様との関わりの中で、「自らの欠点や過ちに気づくことができる」のです。また人様の言動を見て、「己の言動の善し悪しを見極めることもできる」のです。
ひとりになって、自分はいかなる人間かと考えたり、己の行動を反省したりするのは、意味がないとはいいませんが、それは自分の言動を肯定し、自惚れてしまうか、逆に落ち込んで自分を卑下してしまうという状態に陥ることになりかねません。
そのようなことになり道を外れないために「己を知る」ことが大事であるからこそ「身を慎むために行を行ずる」のです。
大学に「誠意ある人とは、自分を欺かない人である。自分の本心を欺かないこと、これが真にまっとうに生きるということであり、人間修養の第一歩である。(中略)ひとりでいる場合、すなわち他人が見てもいず、聞いてもいない場合でも、言行を慎み、自らを欺かないようにする。これが君子の志すところである」。
人様が見ていないところでも、清廉潔白な行動がとれ、公正に物事を行うことができるという態度こそ、「慎独」である、というのです。これは大変難しいことですが、そうありたいと思い法におすがりして修行し自分を知る努力を行うのです。
どうぞ皆様もご一緒にお祈り下さい。己を欺くことなく人生に邁進することで必ずや充実した人生と為すことを信じています。今日も皆様にとり素晴らしい一日でありますよう。
昨日信者のTさんが行前に力を付けていただきたいと「ごちそう」をお持ちくださいました。Tさんありがとうございます。お陰様でモリモリです、しっかりとお祈りします。ご本尊様のありがたいことはもちろんのことですが、信者さんはありがたいですね〜、しっかりしなくては。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
写真は皆様からいただきました「添え護摩木」そして八千枚を修します「護摩壇」。五座に分け八千本をお焚き上げし皆様の大願・心願をお祈り致します。今日は午後2時、明日は午前9時、午後1時、3時そして明後日は午前10時の五座です。どうぞおまいりください。
そして一枚は「ゆず風呂」です。気持ちよくゆっくりと浸かりました。ゆずさん、ありがとうです。