年々歳々

おはようございます。

「八千枚護摩供」初日おまいり、お手伝いいただきました皆様ありがとうございます。今日明日と二日、よろしくお願い致します。今日は午前9時、午後1時、午後3時の三座厳修します、おまいりください。
このことは日々の行動でも言えます。毎日、毎月、毎年同じ事を繰り返していても同じことはない、だからこそ漫然と惰性でやってはいけない、経験を踏まえ何をどうするかを考えて修すべきだと。状況や条件、経験、体験、思い、相手も日々違い、縁も結果も違い一番の違いが自身の心模様。
そんな中で善し悪しを確かにしませんとこれまたすべて次への参考にもなりません。ならないどころかただ経験したというだけで、人生をなめ、己をなめ、人様をなめてしまうことが最もこわいことです。
そのような自堕落に陥らない、ただの物知りに終わらないようにするのが修行の大事でもあります。
「年々歳々、歳々年々」。
「年々歳々、花相い似たり  歳々年々、人同じからず」(唐詩選)にある詩を思い出しています。花は毎年違ってはいますが、仏前の前にお供えしています花はイキイキと咲いています。それを見ている私はどうでしょう、年を重ね花のようにイキイキとはいかないのが人間です。それを知るからこそ精神は確かな経験と体験によってイキイキとしているのです。それが「法の素晴らしさ」です。
古木が表にイキイキとした花を付けるように、行者として法に則り基づいた歳々年々の修行経験、体験があるからこそ様々な状況や条件の中でも信者の皆様の心願を成就する一助としての法力となっているのです。行力のアップは御仏の加護はもちろん、「皆さんの信力」によるものが大きいのです。全国から寄せられました添え護摩木を拝見し炎の中に投じる度に力が増します。信じていただいています皆さんありがとうございます。一本の護摩木の炎が次から次へと燎原の火のように大きくなる様を目の当たりにし信力の偉大さを更に知るのです。その広がりが良縁となる種ともなるのです。
また人の情というものは、傍にいると考えるだけで力となり嬉しいのです。そのことが信の一番の力ともなるのです。ましてや真剣に祈る人の姿をみればなおさらです。
今日は三座修法します、どうぞおまいりください。ご利益は確かであります。今日も皆様が素晴らしい一日となりますようお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。