謙虚

おはようございます。

毎年反省させられます。水と食事を絶つだけで何と人間は弱いものだろうと、諸葛孔明の言葉ではありませんが「ただ、謙虚に慎み深く一生をおくる」信条が大事だと、多くの方々に支えられて「八千枚護摩供」を修し改めて思うところです。
「謙虚」。
老子」第二章に、「長いとか短いというのは、互いに相手があることによってはっきりするものである。また、高いとか低いというのも、互いに比較する相手があることによって明確になるものだ」とあります。
人の長所も短所も、一概に善し悪しをつけるのは難しいものです。「ウサギとカメの物語」ではありませんが、足が速いという自らの長所を誇り、それにあぐらをかいてしまったために、結果的に負けてしまうウサギのように、人はどのような立場にある人でも、自らの長所にあぐらをかき努力を怠れば、結果的に敗れたり、失敗の憂き目を見たりするということです。
人は失意のときや、困窮に陥っているときには、謙虚で礼儀正しく振る舞うことができますが、一旦成功しますと、成功が自分の能力や努力の賜だと過信し、驕る気持ちがわいてきます。そうすると、人に頭を下げて教えを乞うたり、人の諫言に耳を傾けたりして己の言動を反省することを忘れるため、結果的に失敗してしまうのです。
少しの成功や交際、取引が安定しているときほど、己の言動を省みて心の手綱を引き締めるべきです。
このように、謙虚で礼儀正しいことが重要だ、と言いますと、自分の能力や業績をアピールしなければ他人から無能だと思われてしまうのではないかと心配する人もいるでしょう。しかし、そんなことを気にすることはありません。
論語、学而第1、16条「世間が私の才能をわかってくれなくても不平不満をいだかない。そういう人こそ教養のある立派な人物である」。と泰然と孔子のように構えておけばよいのです(むずかしいかな?でも努力すべきだと思っていますし、矜持を持って歩むべきです)。
また、謙虚な態度というと、地位の高い人の言うことに唯々諾々と従うことだと思う人がいるかもしれませんが、それは違います。謙虚さというのは、自分の能力や人格を卑下することではなく、常に「己の能力や人格に磨きをかけようと努力する気持ちを持つ」ということです。謙虚な人は進歩しますが、傲慢な人は落ちぶれるということを知ることも大切です。私が一番に気をつけなければいけないことだとこの度の行で改めて気を引き締めています。
今夜は「にんげん学」小倉、最終講座。皆さん是非ご出席ください。今日も素晴らしい一日となりますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。