無常

おはようございます。

青々と繁った木々も好きですが、冬枯れした木々も私は好きです。何故かといいますと、以前このようなことを書きました。
沢山花や実をつけた木も
つけなかった木も
また一から始まる 嬉しい。
というものです。私はいままでも、これからも「いつかは」という思いで日々を夢見て歩んでいます。一年を通じて目標を立て、年末になりますと、できたこと、できなかったこと、どちらが多いかといいますと、ご多分に漏れず、できなかったことです。
しかし毎年この時期に自然を見て勇気をいただき新たな年の決意を徐々に固めるのです。その固める時間が好きでもあるのです。よし今度こそは、いつかは必ずという思いを新たにする。
「無常」。
無常という言葉を聞いたり見たりしますと、何か虚しさや寂しさを感じられる人が多いのではないでしょうか。老子は「冬枯れこそ真の生命」と言っています。それは新たな「成長を前にした木々が、葉を落としてそれに備えているのだ」というのです。
新たなものをむかえようと、何かの実現を控えた未来が近づいたと感じたら、手放せる限りを手放して、それに備えるべきです。そのことを自然は教え示してくれています。部屋の中もガラクタは流れを損なうのです。空間の少ない部屋は血管が詰まったからだのようなもの。使わなくなったものを捨てれば捨てるほど空間は生命力を取り戻し、エネルギーは流動するのです。
過去に得た知識や情報も、実現すべきを阻んでいる障害であることが多いのです。器にきれいな水を入れようと思えば、まず古い水を捨てなければなりません。
私も毎年再びスタート地点に立てると思うと嬉しくてしょうがない。ガラガラポンとしてもう一度やり直せることは楽しいことです。
朝の過ごし方も楽しいものです。朝ご本尊様にお茶湯、水をお供えするときが楽しいのです。何故楽しいのかと申しますと、徐々に気持ちが静まり、御仏の世界に入るであろう静かな高まりを感じるのです。その自分の気持ちを味わうのが好きなのです。
無常を「常に無い」ととり、無常だからこそ子供も成長し、無常だからこそ病も快復する。無常だからこそ努力すれば成績も上がり、人生を建て直してもいけるのです。そんなことを思い日々祈りを捧げ年末は一年を振り返り殊に感慨に浸るのです。今日も素晴らしい一日でありますようお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
写真は先日Iさんが化粧直しをしてくださいました「水掛銭洗い・辯財天」様。来年は金港辯財天様の「水掛銭洗い辯財天」でお水を掛け、お金を洗い祈りますと「財運がザクザク、出船入り船満載の年となります」よ〜。巳さんは辯財天様の眷属ですから。葉を落とした桜木と観音様、私の部屋から見えます桜の木。