楽しい言葉

おはようございます。

新年も8日一週間を過ぎました。まだ松の内ですが昨日から本格的にお仕事が始まりお屠蘇気分も払拭しなければと考えておられる方も多いのではないでしょうか。このように書いてはみましたが今日はお昼から愛宕寺の「年賀式」やはり「おめでとうございます」の挨拶を交わします。午後2時からですお待ちしております。
「楽しい言葉」。
先日も「信言は美ならず、美言は信ならず」と書きました。やはり耳に心地良く響く言葉はいいもの。「おめでとうございます」などはその典型かも知れませんね〜。愛宕寺は小さくて居心地の良い寺です。世間でも余り知られていません、そこが隠れたパワースポットの所以、確かにおまいりに来てくださる方が多勢おられます。そのことが又嬉しくもありますし、だからこそ「おめでとうございます」という言葉が身にしみるほど嬉しくありがたい。このことは心華寺でも言えます。
大と小、多と少は自分自身の価値観からくることでもありますが、人様も感じることでもあります。大小、多少のあることは事実です。ですから、どちらの言葉を聞いたとしても私は素直に聞き、一喜一憂はせず、ありがたい、として受け止めています。
大も小も、多少もどこまでいったとしても切りがなく、大が優れ、小が劣ることなどということは何の基準もないのです。また大小、多少、そのようなことを気にして、来てくださる方を粗末にするようであってはなりません。それはとりもなおさず自分を粗末にし軽んじていることです。「山椒は小粒でぴりりと辛い」などという言葉もあり、ICチップなどは小さくとも凄い情報量をもっていることは誰でも知っていることです。
人間は大小や多少にとらわれがあったり、心に引っかかっていますと、それをを見聞きしますと、善い人を嫌ったり、あまり感心しない人を好いてしまったりと、まったく逆、逆さまな見方をしてしまう危険性を生みます。大小、多少にこだわらず、目の前の人様や物を大切にしたいですね、無い物ねだりが人間性を一番卑しめますし夢を壊します。
やはり人様には「和顔愛語」で接しましょう、そのためには日々の暮らしに感謝し不足を言わないこと。自分が率先すれば不足など言いません。今日も素晴らしい一日でありますように。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
写真は新幹線の車中から徳山のコンビナート風景。いつも不思議な気持ちで眺めています。何ででしょうか?ね。人工なのに自然に見えるからかもしれません、ニョキニョキと伸びて何かを探しているようにも見えます。煙突からでている水蒸気は冬空に誰かに優しい気をふう〜ふう〜と送っているようにも見えるのです。