人を慢らず

おはようございます。

昨日午前中に高校時代3年修学していたK君が下関から挨拶にきてくれました。現在36才、下関の愛宕寺の方が近いにもかかわらず宇治に挨拶に来てくれた嬉しいですね、K君ありがとう、これからも精進ください。
時折人様を侮るということではないのですが、この年になりましても非礼をはたらいてしまったな〜と反省するときが度々です。私の前では黙って聞いてくださいますが、後で考えますと、ぞっぉーっとしてしまいます。学びは終局がありません。
私の一つのモットーは「敬する」ことにあります。敬愛が人様との対人関係を結ぶに当たっての基本だと考えています。出会いは一過性のものはどの出会いもありません、必ず目の前の人、身近な人の目、そして第三者の方々の目があります。ですから非礼はいけません。
「人を慢(あなど)らず」。
孝経(こうきよう)第一章に「孝は徳の本なり。教えの由って生ずる所なり」とあります。これは、孝行があらゆる道徳の根本であり、教化の根源であるということをいったのです。どんな世界でも上下左右の人間関係の中で暮らすのが私たちです。このことはどんな世界でも変わりません。今騒がれています教育の荒廃も、このことと無関係ではないのかもしれませんし、争いが生じるのも孝心の欠如から来ているのかもしれません。
第二章には「親を敬する者は、敢えて人を悪(にく)まず。親を愛する者は敢えて人を慢(あなど)らず。愛敬親に事(つか)うるに尽くして、然(しか)る後(のち)徳教万人(とっきようばんにん)に加わり、世界に刑(のっと)る。」。
親孝行とは、たんに親を大事にするというだけではまだ不十分です。そのなかに「敬」すなわち敬愛の気持ちがなければいけないのだと、孔子は諭(さと)したのです。
親を愛する者は、必ずその親を愛する心を推(お)し広めて他人を愛するから、決して他人を憎(にく)んだりしない。親を敬する者は、必ずその親を敬する心を推し広めて他人を敬するから、決して他人を軽蔑(けいべつ)したりしない。かくして愛と敬の心が両親に事(つか)える際に出しつくされると、その道徳的感化が広く万民に行きわたり、四方に則り倣(なら)うようになるというのです。
私には両親はもうおりませんが、日々ご先祖様に手を合わせているにもかかわらず、己を失うときがあることを反省しています。と同時に反省する教えを持っていることに喜びを感じてもいます。
世の中嘆(なげ)くことも多くあり、自身も思わず感情的になり己を見失うときもありますが、今日の世相の憂いを少なくするためにまず私たち一人一人が手本を示すことではないでしょうか、孝を推し広めることは社会を明るくする本です。
社会は平等の中に平等でないものがあることを思い、父母、教師、上司、年長者、年下の者に対して「美しい言葉や立ち居振る舞いができる人や若者をつくるべき」ではないでしょうか、そのためにも率先して自らがお手本と為すべきだと思っています。
今日、明日は「センター試験」、ご両親に感謝して試験場にお出かけ下さい。きっと素晴らしい結果となります。そして「受験の神・知恵の金港辯財天」様がついております、安心して受験ください。今日も皆様の一日が素晴らしい一日でありますようお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
今日の写真はこれまでただ単に美しいな〜とは思ってはいたのですが、最近写真を撮るようになってから意識が変わったのでしょう。菓子箱の絵柄や菓子袋のデザインがすごいなぁ〜に変わったので、パチリ。一枚目は東京の菓子箱、中は京都のあられ、下は広島の菓子箱、これから各地のお供えを撮るのもおもしろいかなぁ〜と思っています、独り善がりですが。