人生の大病

おはようございます。

今日は大寒、数日厳しい寒さが続いていますが受験生の皆さん今日も気をつけて受験ください、上手くいかれることをお祈り致します。凄いですね、57万人超の若い人たちがチャレンジしておられる、未来に希望を持って受験ください。
私たちもしっかりと防寒対策をしましょう。そんな寒いなか昨日もご近所のIさんが「水掛・銭洗い辯財天様とローソク立て」のお掃除をくださいました。毎週欠かさずご奉仕、Iさん感謝致します、本当にいつもありがとうございます。
あれよあれよという間にもう20日、一月は行く、二月は逃げる、三月は去る、などと申します、まったくまったくその通りです。うかうかしてはおられません、しかし慌てるのも如何なものかとも?思います。
先日も書きましたが出だしは気が逸るのはわかりますが、そこをぐっとこらえ気を矯めて進むことも大事です。年頭だからといって思わず張り切りすぎて大言を言って取り返しがつかないということになってはいけません。
「人生の大病」。
昨日の続きの感じで書きます。伝収録(でんしゆうろく)(中国明代の王陽明(おうようめい)の語録)に「人生の大病はただこれ一(いつ)の傲(ごう)の字なり」とあります。
「傲」は、自分の能力や才能を鼻にかけて人を見下すことで、謙虚の反対です。人生の最大の病気は、この「傲」の一字につきるのだと、王陽明はいうのです。こう語ったあとで、つぎのように続けています。
「子となって傲なれば必ず不孝。臣となって傲なれば必ず不忠。父となって傲なれば必ず不慈。友となって傲なれば必ず不信」。
つまり「傲」には一つもよいところがなく、諸悪の根源なのだと王陽明はいうのです。では「傲」に陥らないためにはどうすればよいのでしょうか。王陽明「無我」になることだ、というのです。
「無我になれば自(おの)ずから能(よ)く謙(けん)なり。謙は衆善(しゆうぜん)の基(もと)にして、傲は衆悪の魁(さきがけ)なり」。
「無我」とは、胸中になにものもとどめない境地であります(非常に難しい、難しいからこそ無我と為すべきです)。「生まれながらの心」といってよいかもしれません。そういう境地には容易になれませんが、「傲」が「衆悪の魁」であることはしっかりと心にとどめておくべきでありましょう。
修行中「言われたことは黙々とやる」という意識で取り組んだことを思い出します。無我になれない一つは「言葉にこだわる」からだと考えてのことです。聞いた言葉を勝手な解釈をして否定してしまう、行動すれば何ということがないのが殆どなのだということを無我になって行動して気づかされました。
仕事にも人生にも悩みが尽きないと考えている人は自身の内を見つめ「傲の有無を確かめることも必要かも?」しれません。傲、我は敵、禁物だということです。このように書いてはいますが、この「傲」に気づくことも結構難しいことでもありますので、「心学」を学びどのような生き方が「傲」を少なくすることが出来るのかを学びましょう。人生に指標があることは楽しいことで豊かになれます。今日も素晴らしい一日となりますよう。
毎日「はてなダイアリー」を活用させていただきブログを書かせていただいていますが、「はてな」さんが先日16日で10周年を迎えられたそうです、おめでとうございます。私もお陰で毎日書かせていただいており感謝致します。これから20年、30年と続きますことをお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
今日の写真は八幡浜の「日本一美味しいみかんの一生園」のOさんからのご紹介の愛媛・大洲市で日本一のお醤油を作られていますK商店さんのラベル、工夫された目を惹く面白い素晴らしいデザイン。一枚目の写真がどうしても横になってしまいますごめんなさい。じっくり寝かせて熟成させた醤油だからでしょうか?。そして私の兄弟で三番目の兄が送ってくれた美味しい庄内米「こばえちゃ」、来てください、という意味です。方言はおもしろいですね。