七転八起

おはようございます。

私は本物の自分の人生が始まるのはある意味で「失敗、挫折をした後から」ではないかと考えています。私自身の人生がそうであったからです。自ら決めた道を歩もうとする決心をするのは、何かに委ねていたことが「ある日閉ざされたと感じたとき新たな道を目指し覚悟した」からです。
今、受験シーズン真っ盛り、合否は必ずあります。このことは何人の上にも来たるものです。合格したからといって後の人生の、就職試験、国家試験、資格試験、仕事の成否等々は未だわかりません。長い人生の間に様々な試練、関所、関門が口を開けて待ち受けています。また関所、関門、チェックポイントを通らなければ人間の成長は無いとも言えます。
「人生の好機は危機の顔をしてやってくる」のです。やはり「自分の決めた道、方向が大事」ではないでしょうか。「七転八起し自分の人生を放棄しないために」は「自分の決めた道を確立し歩む」ことでなければ出来ない話ではないかと思うのです。その動機、きっかけが「失敗、挫折が契機となる」のです。
「七転八起」。
七転八起のパワーが出るのが「心学」を修めてこそです。人生には「遇と不遇の時というものがあるのだ」ということを知るからです。教えは直線的であり、学んでいるとき、とくに経験が少ない若いとき、順風満帆の時などは「時のあることを失念、見えていない」のです。自分の思い通りになると単純に考えてしまう、それが純粋ということでもあるのですが。しかしその純粋を真っ直ぐに育てなければ行けません、それを出来るようになるのが「心を練る、心学」です。
花は咲いて散り、散って咲くのであり、それも時節があるからこそで、しかし事が己の自身のことだったり、人に指示を与えているときなどは客観的思考が出来なくなるのが人間の感情でもあります。
己を見失う愚を犯すことを戒めるのが「心を修める、心学」です。遇とは「何をやってもトントン拍子に進むこと」、不遇とはその反対「何をやってもうまくいかない」ことです。何事の成就も「時を得るかどうかなのです」。
誰の人生でも「遇と不遇がついてまわり」ます。問題は不遇なときの過ごし方。そんなとき、へんに卑屈になったり、じたばた悪あがきをしていたのでは、将来の展望が開けません。
孔子は「身を修め行いを端(ただし)くして以てその時を俟(ま)て」と言っています。そんなときこそ、じっくりと自分を鍛えながら、「ツキが回ってくるのを待て」というのです。また「人事を尽くして天命を待つ」という言葉もありますが、私は「天命を信じ人事を尽くす」ことを旨としています。
また「孫呉(そんご)(孫子(そんし)と呉子(ごし))の兵法」と称された「呉子(ごし)」に「可を見て進み、難きを知りて退く」という言葉があります。「有利と見たら進み、不利と見たら退く」ということです。この呉子の兵法こそ「ほんとうの勇気」でもあります。一見簡単と思われるこのことが以外と出来ず転ぶのです。これができてこそ七転び八起きの精神ができるのです。
七転八起できない人の多くは己の心を制御出来ず、論理を感情論としていることを気づくべきです。情は人にかけるもので、己の理性を失わせるものではありません。
何か挫折を感じたり、失敗したときから本当の自分の夢を求め、人としての精神の確立を確かに出来るのではないでしょうか、その時に初めて「人間としての矜持(きようじ)が生まれる」とも思っています。今夜は「にんげん学」小倉初講座、ご一緒に学びのスタートを切りましょう。会場でお待ちしております。
今日から心華寺では一泊二日今年初の「M&Uスクール」が開校されます。留守をしておりますが、受講生の皆さん本年もよろしくお願い致します。気をつけてお出かけください。今日も素晴らしい一日でありますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
写真は彦島のTさん差し入れの「高級・佐賀牛ステーキ」、Tさんごちそうさまでした。自分でいうのも何ですが美味しく焼けました。毎日ごちそうをいただいて太るかも?、でも美味しい物には勝てません。