真理を住処

おはようございます。

私たちは夢を持ち志を高くして歩んでいます。しかし自分の事ばかり考えていたのでは何一つ事は運ばず、かえって事の成就には至りません。夢を志を達成させるにはやはり人としての生き方が問題であります。
先ず考えなければいけないのが何を夢として、何を志とするかです。いつも書いていますように、この世は何一つ己だけに都合の良いようにはできてはおりません。共存して然るべきがこの世です。
やはり共存を夢、志と考えるべきであります。共存の夢や志は何も遠い所にあるのではなく、身近な世界にこそ実現させるべきです。
「真理を住処とする」。
真理を住処とするとは、道徳に棲むということです。道徳とは道(法則)や真実を示しています。道や真理は「情を持っていません」、それに棲む者、従う者に力を与えるのです。故に何人にでもその力をくださるのです。私一人にだけ恩恵をくださるのではないのです。このことを知ることが重要なのです。
若いときに夢、志を立てて一歩を踏み出し歩み始め少しずつそれを実現させていきます。家族、従業員の方と共に幸せにという情熱を持って道に素直に沿い従って進んで行き豊かになっていくのです。
では何故その厚い情熱で歩んで来たにもかかわらず、途中でダメになる人が出るのでしょうか。それは道を歩んで少しの成功を収めたことを忘れ何時しか「我欲の道を歩んでしまったから」です。道の力ということを忘れ、己の力と錯覚した結果が破滅を導いたのです。道は万人のため、道は万人の住処なのです。
菜根譚前集、1条に「道徳に棲守(せいしゆ)する者は、一時に寂寞(せきばく)たるも、権勢に衣阿(いあ)する者は、万古(ばんこ)に凄涼(せいりよう)たり。達人は物外(ぶつがい)の物を観じ、身後(しんご)の身を思う。寧(むし)ろ一時の寂寞を受くるも、万古の凄涼を取ること毋(なか)れ。」。
意は「真理を自分の住家としてこれを守る者は、ある時は不遇でさびしい境涯になるが、権勢によりかかりおもねりへつらう者は、ある時は栄えても、ついには永遠にさびしくいたましいものである。真理に達した人は、常に世俗を超越したところに真理を見いだし、この身が終わって後の不朽(ふきゆう)の名声を得ることに心がけている。
だから、むしろある時は不遇でさびしい境遇になることはあっても、永遠にさびしくいたましくなるような、権勢におもねる態度をとってはいけない。」。
名声を願う必要はないと考えますが、人生を途中で過つ原因の一つはやはり、我欲です、少しの力を得たとき己を見失い、道が為した功を忘れ、己の力と勘違いして小さな幸せ、共存の喜びを忘れ、我欲に翻弄され、喜びが苦しみと絶望に変わってしまうのです。
本年初のM&Uスクール受講生の皆さん昨日まで一泊二日の講習お疲れ様でした。今年も精進ください。
本日も素晴らしい一日でありますようお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。