無常を

おはようございます。

昨日、今日と二日続けて病院通い、それぞれ別の病院です。この世に、どんな人にもなしとげられないことが五つあります。一つには、老いゆく身でありながら、老いないということ。二つには、病む身でありながら、病まないということ。三つには、死すべき身でありながら、死なないということ。四つには、滅ぶべきものでありながら、滅びないということ。五つには、尽きるべきものでありながら、尽きないということです。私たちは、この避けがたいことにつき当たり、悩み苦しんでいるのではないでしょうか。御仏は、避けがたいことを避けがたいと知ることだと諭しました。このようなことで苦しむ愚かを戒めたのです。
しかしそうは教えられましても悩み苦しむのが私でもあるのです。弱気になる、くよくよしてしまう。
「無常を知る」。
悩むのは「無明(むみよう)」だからだというのです。何の根拠もない、どうしようもないことで悩むことを「無明、あかるくない、あきらかにしていない」というのです。そう言われればそうかも知れません。
すべての欲望の対象になるものは、無常であり、苦しみであり、うつり変わるものであることを知りなさいとも言うのです。そう言われればやはりそうです。いかに私たちの心はコロコロとして次から次へと欲望の対象を変え、悩み苦しんでいることでしょう。いい加減にしなければいけません。
すべての存在は、無常であり、苦しみであり、うつり変わるものなのです。だから「我がないのだ」というのです。
と、ここまで教えられて、はたと気づきました。そうだ、ありのままを受けいれ「楽しもう」と。私たちは「縁(条件)によって生まれ、縁によって滅びる」のです。私たちの苦しみには原因があり、さとりには道があるのです。雨の降るのも、風の吹くのも、花の咲くのも、葉の散るのも、すべて縁によって生じ、縁によって滅びるのです。
この身は父母を縁として生まれ、食物によって維持され、また、この心も経験と知識によって育ったものです。ですから、この身も、この心も、縁によって成り立ち、縁によって変わるといわなければならないのです。
このように見ていったとき、楽しみ味わい受けいれていこうと、そして何か苦しいことや辛いと感じたとき、より以上の喜びと楽しみのための「スパイスだ」と思い、ポストにベストを尽くすのが一番ではないかと思っています。皆さんくよくよしないで楽しみましょう。
花は咲く縁が集まって咲き、葉は散る縁が集まって散るのです。ひとり咲き、ひとり散るのではありません、私たちは多くの人と共にあり、多くの人に支えられています。病院に行っても沢山の笑顔に支えられています。そのことを知っただけでも幸せです。そして無常であるから新たな出会いもあるのです。人生楽しみましょう、今日も素晴らしい一日となりますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
写真は一昨日おまいりくださいました皆さんがお雑煮と白玉ぜんざいをいただいている風景。寶樹庵のYさん美味しい白玉ありがとうございます。