学ぶ姿勢

おはようございます。

病院からの帰りはいつも誠澄に迎えにきてもらっています、誠澄が出先だったので最寄りの駅の一つ前、宇治駅に昨日はむかえにきてもらい、お昼時でしたので久しぶりにファミレスでランチを食べようということになり、写真を撮るのを忘れるくらいお腹が空いていたこともありますが美味しくいただきました。時にはファミレスもいいものです。
「学ぶ姿勢」。
人生を確かにするに重要な事の一つ「学ぶ姿勢」です。学ぶ姿勢ができていませんと「己の人生を構築できない」のです。論語、為政第2、15条に「子曰わく、学んで思わざれば則ち罔(くら)し。思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し。」。
意は「孔子言う、或いは先輩について学び、或いは書物によって学んでも、その学んだところを自分の心に問うてよく考えてみないと、学んだ事がぼんやりとしていて、本当の意味は了得されない。これに反して乏しい知識経験を本としてただ心の中に思い詰めるだけで、ひろく他人の言に学び、或いは古人の教えに学ぶことをしないと、的(まと)をはずれた方向に進みがちで、危険この上ないものである。」。
どんな人から教えてもらったとしても、「自分の頭で考えなければ何もならず、力とならない」のです。逆に自分の頭だけで考えて、「人から教えてもらおうとしないと独りよがりになる危険がある」のです。
学ぶとは文字通り学習することですが、ここでは「知識を得るという解釈をします」。一方、思うは「自分の頭で考えるとか、思考する」という意味です。
私たちは本などから知識を得ますと、それだけで何だか安心してしまうことがあります。知識は使わなければ何の意味もありません、知識を使うには、それらを考えて「体系付けを」しなければいけません。この作業は大変重要であり、手間がかかり、頭を使いますので、面倒くさがり後回しとなり、やめてしまうのです。その結果身につかなくしているのです。
また逆に、外部から知識を仕入れるには手間がかかります。その手間を億劫がって、自己流で済ませ、何の進化も人間的成長もしなくなるのです。それでは、せっかく周りにある知識を活用できずに独りよがり、独善に陥ってしまうことになり、何の進展も発展もなく、自らの人生を自らの手で閉じてしまうことになるのです。
結局のところ「知識を得ること」と「考えること」が両立でき、両輪となり初めて「学んだ」ということになるのです。
どちらが欠けても本当に「学ぶ姿勢」はできていないということになるのです。そして、この「学ぶ姿勢」ができてようやく新しいものを作りあげることができるようになるのです。自身の人生を構築するとき、前段階で学ぶ姿勢が大事であることを確かにしましょう。
明晩は「にんげん学」一宮講座です。明日は会場と開始時間が変更になっております。会場は「料亭 吹原、TEL : 058(388)3250。岐阜県羽島郡笠松町柳原町50−1」お問い合わせはTEL : 0586-72-4501。一宮マツダ販売(株)・後藤様までお願い致します。受付は5時半、開講は6時です。
今日も素晴らしい一日となりますことをお祈り致します。 

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。