一つ

おはようございます。

「にんげん学」一宮講座ご出席の皆さんありがとうございます。ご一緒に学ぶ事も嬉しい事ですが、昨日は会場を変えて私の誕生会と新年会感謝いたします。本当にありがたいことです。先日も書きましたが果報者です。年なんでしょうか涙腺が弱くなったようです。
いつでも、いつまでも学びの朋、同志は嬉しいものです。何事があったとしても心がくじけません。学び直せばいいのですから、このことを素直に出来ることを知ったのも学びからです。ありがたいですね、そして朋、同志の皆様が又やり直す姿を見せてくれるのが喜びであり勇気の源です。
「一つを知った喜び」。
物事の本質をつかめば、迷うことや悩むことはあったとしても元に戻れて、やり直すことができます。そしてより以上自分自身の素晴らしさに気づきます。
学ぶ事で間違った考えにしてしまうことはよくありません。習う、学ぶということは思わぬ事が起きたとき自分を見失うことがないように習う、学ぶということもあるのです。何も最初から間違おう、道を外れようなどと思って習う、学ぶ事をしているわけではないのですが、必然的に習う、学ぶ事をしていると己を見失わないようになるのです。
宝石の中の一つに「真珠」があります。きれいですね、その真珠には天然の物と人工の物があります。真珠をつくる貝はアコヤ貝という貝だそうです。この貝は「異物に侵入されると、本当は除去したいのですが、それができないので、異物を膜で巻いてしまうのです。こうしてできるのが天然真珠で、人為的に異物を入れてつくられるのが人工真珠」です。つまり、「病める貝にのみ真珠は宿る」わけです。この事実を知り、私たちに置き換えて考えてみますと、すべてが完全だということはありません。悪いところが必ずあるものです。現実をあらためてみつめなおして「自分には悪いとろこがあるんだ、病気があるんだ」ということを認識し、もっと健康体になろうと努力していくことができるようになることが人生の一つの思考の原点ともなるのです。
人は往々にして、悪いところに対して目をつぶり、やり過ごそうとする心理が働くときがあります。たとえば、借金を抱えているにもかかわらず、現実逃避をして、返済計画をいつまでも立てようとしない。しかしその現実を受け止めない限り、借金は減るどころか、ますます増えていき、ついには破算の憂き目にあうのです。
習い、学んでいれば勇気をもって、自分自身の「悪いところ」を真摯に見つめ、受け止めることができるようになるのです。習う、学ぶという一つのことを知れば、欠点を長所にもできます。
今夜は「にんげん学」東京講座。東京の地区の皆さん会場でお待ちしております。今日も皆様にとり素晴らしい一日となりますようお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。

写真は昨日「にんげん学」一宮講座の「料亭吹原」さんで皆さんと、プレゼントをいただいたところです。