悩みを思う

おはようございます。

いろいろな方がお訪ねになります。先日ご主人が87才、奥様が79才という美しいご夫妻が訪ねて来られました。昨年53才のご子息を亡くされ、それ以来奥様が哀しみにくれ不眠症になり、どうしようもなく、話を聞いてほしいいと訪ねてこられました。
まさしく諸行無常、生まれて死なない人はいません、生者必滅、会者定離(しょうじゃひつめつ、えしゃじょうり)の理です。私も必ず西方世界へ旅立ちます。しかし逆縁(親より子が早く死ぬこと)は筆舌に尽くせないほど辛いものであります。ご夫妻には幾何の時も残されておらず、老後である今を楽しく過ごすことばかりを考えていたのでしょう。慰めの言葉も見つかりませんでした。
「悩みを思う」。
ご夫妻が、どうしたらよいでしょうとお尋ねでしたので、「悲しんで上げてください、泣いて上げてください」とお答えしました。そして「悲しんで暮らすあなたのお姿をお子様がごらんになられたら喜ばれると思いますか?」と尋ねました。そうしましたら奥様が「悲しむと思います」と。そうでしょうね、と私は返事をしました。
そして「悲しいことを考えた後に、楽しく過ごしたときのことを考えてみてください」とお話ししました。そうすることで「きっと天界でご子息は喜ばれますよ」と話をしさせていただいたところ、少し元気になり帰っていかれました。
私たちは「どうしようもないからこそ悩む時がある」のです。「どうすることもできないからこそ悩む」のでもあります。そのことを自分の心は分かっているはずです。しかし「何とか」と思いますから悩みとしてしまうのです。お訪ねくださった老夫妻の方には「悩みを毎日考えてください」、そして「ありがとう」とお子様のお位牌に手を合わせてください。とお願いし帰っていただきました。答えになってはいなかったでしょう。ですが悲しむ気持ち、悩む気持ちは痛いほど理解できます。だからこそ「悲しんで上げてください」とお話しさせていただいたのです。人は「どうしようもないこともある」のです。
人生の悩みを解決するに特効薬はありません。あるとすれば「前向きの諦め、受けいれる」ことではないかと思っています。
そして時々お寺にお運びください、お子さんのことを私に話してくださいとお話ししましたところ、笑顔を向けて帰られたことが救いでもありました。悲しいことを悲しいままにすることも人生は大事ではないでしょうか。そこから又新たな展望が開かれると信じています。
明日は私が師を訪ねます。一日師のお側で過ごすつもりです、何をしても何をやっても、厳しい言葉で叱責くだされても最後には認め許してくださる師、甘えてはいけないと思いつつ甘えてしまう大山の如くの存在、いつも比叡のお山、富士のお山を仰ぎ見る気持ちのように仰いでいます。
話が変わりますが、伊丹の寶樹庵のYさん制作の「ミカン大福」昨日いただきました。さすが日本一のミカン一生園さんとのコラボの味、ものすごく美味しかったです、皆さんにも味わっていただきたいミカン大福でした。Yさん。ごちそうさまでした。
今日も素晴らしい一日でありますよう、お祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。