無一物

おはようございます。

今日、師にお会いします。自分で言いますと、へそで茶を沸かすことになりますが、私は寺で育ったからかもしれませんが、幼い頃から人様が多く出入りしていたため我が家でありながら我が家でないように感じていました。しかし長じてこの世界に入り物やお金に余り執着のないことに気づき、そのことが幸いしたようです。だからこそいろいろな方に支えていただき愚鈍な私でも少しはお役に立てているのではと感謝するのです。
「無一物」。
小難しいことや、穿ったことを書くわけではありませんが、何一つこの世に自分の自由になる、わが物になる物はないと考えています。「ささやかでも人様の為になる行動をしたとき与えられる、授けられるのだと」受け止めています。
その証に私が31才比叡山下山時は、志はありましたが何のお役にも立つことができていませんでしたから、本当に無一物、今日食べる物もありませんでした。しかしそんなときであっても庭を掃き、お堂を掃除することで少しは役に立ったのでしょう。心華寺の開山であります長澤一栄師に「一日一椀の粥」を供養していただくことができ、命を保つことができたのです、それは喜びでした。
香華を購うため夜半トラックの運転をさせていただきお給料をちょうだいできたことがこれまた感動を覚えました。何の帰属意識、忠誠心もなく、自分がお金が欲しいと思った者にも運転をすればお給料を支払ってくださるということの驚異。社会の約束事、ルール、世間とは何と素晴らしいのだと感謝した初めてのことでした。僧侶になるとき「社会に感謝せよ」と教えられたことが、このことかと思わず涙しました。何を大げさなことと思われるかも知れませんが、御仏にお仕えし自分が食べていても香華、何一つお供えできない辛さ悲しさで日々御仏に申し訳ない思いをしていたのです。
いろいろなことを体験し、この身体も経験も学びも先人から両親から先輩から社会から多くのものをお借りしたと思っています。借りたものは返さなければなりません。そして借りには利息がつきもの、少しでも借りたものに利息を払えるようにしなければと思うのです。
得たい欲しいという自分の心に自分が縛られることのない心として生んでくれた両親に感謝しています。久しぶり師のお側で一日を過ごす前、少しばかり人生を振り返ることをしてみました。無一物はいい、楽しく己を磨き過ごせるのです。今日も皆様方の一日が素晴らしい一日でありますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
昨日送っていただいた贈り物のパッケージが可愛かったのでパチ。