道は

おはようございます。

昨日から一泊二日でCMAさん主催「管理職研修」を今日の夕方まで行っています。ブログをお読みいただくことはとてもありがたい事です。そして研修にお出かけくださることも感謝致しております。ですが読むことや話を聞くことは学ぶ事ではありますが、道を歩むことではありません、道は実践行動することです。(僭越な書き方でお許しください。)。
「道は読むことではない」。
文字は「道を伝える道具」であり、「道を指し示すもの」です。このことを確かにしておりませんとただ単に物知りで終わり、なんで私を世間は生かさないのだと、いくら嘆いたとしても何にもならないのであって、単なるグチであり人様は耳を貸さないでありましょう。
たとえば子供に絵本を読み聞かせ、「まあ〜るい、まあ〜るいおつきさま、まん丸まるまるおつきさま」と絵本の絵を指さし教え、親が本当のお月様を見せようとして、窓を開け空のお月様を指さし、あれがお月様だよと教えたとしても、絵本のお月様を教えられた子供は、絵本を指し示し、「これが本当のお月様」というような過ちを犯すべきではないのです。
いくら学問をしたとしても実行してこそ道を得るのであって、実行しなければ学問といえません。師のお側で修行していたころには日中一日中働くこと、作務の連続でありました。そこにこそ道のあることを体の中に叩き込まれたのです。「下手な考え休むに似たり」、頭の中に文字が詰め込まれていたくらいで庭がキレイになるのなら結構なことですが、そうはならないのが現実、しかし頭の中に字面があれば出来ると考えているおめでたい人も現実に居るのです、このような方が世間には結構居るのですから、どうにかしなければいけません。
そのような人はしなくてもよい口論をしてしまい大切な縁をも切ってしまうことになりかねないのです。実行していない人間が議論ではなく、我見を言い争うのをよく見るからです。
道(論理)を得れば実行して身を以て修正すればこそ実力と成ることを知るのです。師匠は「戯論(けろん)をもっとも戒めました」。口先だけで行動をしない者を師は怒髪天を衝く如く叱ったのです。お陰様で少しは坊主らしくなってきました、遅ればせながらこの年になってようやく気づいたようです、ありがたいことです。
研修生の皆さんも率先垂範、実行するビジネスマンとなっていただきたく念じて今日もお話しをさせていただきます。夕方まで長時間ですがしっかり取り組んでください。
明晩は「にんげん学」京都講座、京都地区の皆さんご出席をお待ちしております。今日も皆様の一日がよりよい一日でありますようお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
先日師匠のところにお邪魔した折ご褒美で大津市の「割烹・昇力」さんで夕食をごちそうになりました写真。
「前菜」「お作りの盛り合わせ」「菜の花とレンコンの淡蒸し」「のれそれの梅肉あえ、ピクルス、うるいのひたし、ねりうに、ほたるいかの盛り合わせ」「ぐじ、たちうおの焼き物とくるみ」「近江牛」「てっさ」「巻き寿司とじゃこごはん」「パバナカクテル入りムース」という大変なごちそうでした。師匠般若湯もたっぷりと感謝致します。