心、愛情

おはようございます。

明日は24日ですので下関・愛宕寺の法要です。午前10時から行います。日曜日ですのでどうぞおまいりください。明日は「庚申(こうしん)」さんを一緒にお祈り致します。古来より「庚申待ち」と称し、私たち人間の病は「身体の穴から病魔が入る」と考えて来ました。これは至極当然のことです。目、耳、鼻、口、尻、性器等々です。庚申待(こうしんま)ちをすることは「穴に意識し、魔の入ってくることを防ぐのです」。
穴から病魔が入ってこないようにと病魔退散を祈るのが「庚申さん」。お護摩と一緒にお祈り致します休日ですご家族でおまいりください。
「心、愛情」。
心の大事は常に説いています、愛情です。どれほど「相手を思いやるか」で繁栄と安泰があります。それでこそ知識や技術が生かされます。誰しも人様から思ってもらい、大切にしてもらうことは嬉しいことです。愛情をかけてもらったり、温かい言葉、理解の言葉をかけてもらえば、これほど嬉しい事はないのです。
初めてのお店に入っても「明るくさわやかな笑顔で挨拶されれば嬉しいものです」、言葉や表情、思いやりの行動が如何に人様の心を動かすのかは一目瞭然です。
しかし、こんなに嬉しいと感じていることがいざ人様へとなると?、どうでしょう?。喜びを感じている以上に相手を思いやっておられますか?、自分に問うてみてください、思いやるとは、「行動としているか?」ということです。言葉ではなく、行動してこそ「愛の心」です。行動しなければ何もなりません。
お金が欲しい、仕事が欲しい、助けて欲しい、力を貸して欲しい、欲しい欲しいの思いで、その思いが通じて人様が助けてくだされたとします。しかし、このようなときの心理はどのような心理状態でしょう、そう、「自分が助かりたいという思い。何とかこの場を凌ぎたいという思いばかりの我欲です」。
力をお借りしてその場を凌げた、「ああお助けいただいたという感謝の思いがあるでしょうか」、「なければいけません、あるべきです」。
知識も技術も人並み以上でありながら、それを生かせない、人様が生かしてくれないのは、何故でしょう。そう、ここまでお読みいただいて感じておられると思いますが、「愛情、感謝の行動」が足りないのです。いわゆる「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のです。
今の仕事は誰が作って与えてくれたのでしょう、そうです、先輩や会社、社会です。そして一人前になれたのです。
お釈迦様は幼少の頃、人様の苦を感じ出家しました。自分が苦しかったからではありません。伝教大師様も世間の苦を見てその苦の元凶は争いから生じていることを見て取り、争いのない、争わない社会を自ら「ポストにベストを尽くす人生、一隅を照らす」行動をとり、不足があるから助けて欲しいとは言わなかったのです。先ず人様を思う心、愛情からのスタートだったのです。
裸一貫で生まれ、両親、師、友、世間様からいただいて今日在るのです。不足は全て我欲から招いています。多くをいただいて今日在ることができている私たち、そこに不足を思い、不足を考えるそのものがすでに感謝の思いがないのです。そのような思いで在るならばいくら知識を豊富にしてもどんどんと不満が満ちていくだけの人生となします。
それらの病は皆すべて「穴から入ってきた(目や耳)」のです。穴から入ってくる現実を使命としていくか、悩みと不満としていくかは皆さんの気づき一つにかかっています。
苦しみを感じる故、楽しみを人様に、故に人様に苦しい思いをして欲しくないという愛情。辛さを感じ、人様へ温かさをという思いが人生を豊かにするのです。足の冷たさを感じ「靴下を作った人がいたのです」。どうしたら、どうすれば人様が喜んでくださるのかという強い思い、心が人生を左右するのです。
明日愛宕寺でご一緒に祈りましょう。自身とご家族、社員の皆様のためへの愛情一杯の祈りです。祈りを続けることでヒラメキが湧いてきます。
今日から一泊二日でM&Uスクールが心華寺で開校されます。受講生の皆さん大切な時間をしっかりと学んで過ごしてください。お気を付けて入山くださいますよう。皆様の一日が素晴らしい一日となりますことをお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。