一苦一楽

おはようございます。

今日は24日ですので下関・愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」午前10時からです。どうぞおまいりください。
決めたことを行うのが「人の道」。夢を見て歩むのも「人の道」(このことが一番大切かもしれません)。決めたことを怠りなくすることが人柄となり人格となります。自然の道は万物の道です。人の道は自然から学び採り自身が作り出すものです。そうすることで24日が永遠に道として継続され多くの方が幸せを祈ることが伝えられていくことを信じています。
道の存在を知ったとしてもそれを実行し歩まなければ道とはならず、継続する者も出てはきません。人の道は自身が歩んでこそ人の道となります。人の道は「自身の個の道でもある」のです。それでこそ「その人の魅力となる」のです。
「一苦一楽」。
決めたことを道として行うことがなければ道とはならないと書きました。物事を決めたからといってそれを惰性としてはならないことは誰しも承知です。しかし承知しているはずなのに楽に流されてしまうのが私たちでもあります。
菜根譚(さいこんたん)前集200条に「払意(ふつい)を憂(うれ)うること毋(なか)れ、快心(かいしん)を喜ぶこと毋れ。久安(きゆうあん)を恃(たの)むこと毋れ、初難を憚(はばか)ること毋れ。」。
意は「思い通りにならないからといって心をいためてはいけないし、また、思い通りになったからといってやたらと喜んではいけない。
いつまでも平安無事であるからといって、それをたよりにしてはいけないし、また、最初に困難にぶつかったからといって、むやみに恐れきらってはいけない。」。
また75条に「苦楽・相磨練(あいまれん)し、練極(れんきわ)まりて福を成さば、其の福始(ふくはじ)めて久し。一疑一信(いちぎいつしん)して相参勘(あいさんかん)し、勘極(かんきわ)まりて知を成さば、其の知始(ちはじ)めて真なり。」。
意は「苦しんだり楽しんだりして、磨きあい、磨きあった結果が最高に達して幸福が成就されたなら、そのような幸福にしてやっと永続するものである。
また、疑ったり信じたりして考えぬいて、考えぬいた結果が最高に達して知識が体得されたなら、そのような知識にしてやっと本物となる。」。
先の条は有為転変に流されずにやることを進め、今の幸せがいつまでも続くと思わない。最初の困難にくじけて人生に対し逃げ腰になってはならないと教えています。幸せな状態が長く続きますと、ついそれになれて、幸せがいつまでも続くものだと思うようになり、その結果、不幸に見舞われると、とたんに取り乱してしまう。そうならないためには、ふだんから抵抗力を養い、物心両面の備えを怠ってはならないのです。
また、何をするにしても困難はつきものですが、最初の困難にぶつかって腰くだけになるのでは話になりません。突破する道はあるはずだと自分に言いきかせながら、ねばることが大事なのです。
あとの条は苦楽疑信の繰り返しが本物を作ることを教えたのです。いずれにしてもくじけずに歩むことが肝要。祈りは自分自身が自分自身に誓うことであり、誓った道を歩むことで人格も知識も練り上げられ繁栄、安泰につながるのです。
教えはいいものです、何事があったとしても教えに真摯に対し己が信じた道を歩む勇気となるからです。また祈りがいい、自分に真っ直ぐにこれまた幾つ何歳になっても正直であれるからです。精神の若さと純粋さだけは失いたくありません。困難がもたらされればもたらされるほど若者の如く情熱を持ち純粋に取り組みたいものです。
そして素直に教えに沿って歩めば人生和やかになれるのですから、こんな楽しく素晴らしいことはありません。教えを自分の計らいとすればいいだけのことです。数学の方程式を使えばどのような計算でも可能になるように、心が「こんがらがることなどはない」のです。今日はご一緒に祈りましょう。そして多くの皆様の幸せをご一緒に祈りましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
写真は「庚申」さんで信者さんにおわけします「お守り・ミニお猿さん」と信者さんが一年「難を去り、魔を吸い取ってくださる、依り代として奉納されたお申(猿)さん」。そして昨年奉納いただいたお猿さん、災難が去る、そして幸運をもたらすとってもご利益があるのです。
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ご両親が、夫が妻が、兄弟が、恋人が愛する人の災難や悪運に去ってほしいと念じる素直な心を形にして奉納するのです。素晴らしいですね。親知らず子知らずという言葉がありますが、親は子の災難に代わってあげられないときがあり、子も同じです、だからこそ「災難よけ」を願い祈ることは自然なのです。