とらわれを離れて

おはようございます。

「にんげん学」小倉講座ご出席の皆さんありがとうございます。いかがでしたか「老子」。今までとまったく違った概念、「道の道とす可(べ)きは、常の道に非ず。名の名とす可きは、常の名に非ず。無名は天地の始めなり。有名は万物の母なり。」この冒頭書き出しを読んだだけで「うぅぅ〜ん何だこれは」と思ってしまいます。考えなければいけないのが又いいですね〜。老子論語以上に音読が似合っているようです。考えることほど楽しいことはありません。
「とらわれを離れて」。
私たちの日常はすべてにおいて約束事の上に於いて事が運ばれます。しかしこの世は諸行無常ですから同じ状態が続くなどあり得るはずもないことを知ってはいるのですが、自らを自然の如き行動を取る人は多くはありませんし、やはり人の道としては決められている方がやりやすく楽でいい、だからこそ惰性となり堕落していくのですから、難しいものです。だからこそ老子的思考が大事です。
老子は「道の道とす可(べ)きは、常の道に非ず」と教えました。完成した道はもう道ではないぞと、そこにしがみついていると「破滅が待っているぞと警告している」のです。「名の名とす可きは、常の名に非ず」とも、自然は常に新たに生成化育しています。一流メーカーといわれる頭脳集団でも「とらわれから」坂を転げ落ちるような事態を招いた事実を見てもそれはおわかりでしょう。
先日も書いていますが、人が作った物は経費もかかります。自然は自然の営みですから、有無は有無の世界であって、その営みに何等支障は起きません。無くなっても、無くならなくても何も問題はないのです。
しかし私たち人間社会はどうでしょう。身近なことでは造った物が無くなることの最たる物は家であり、作物であり、仕事であり、自身です。それを維持することはある意味で自然に反する行為です。自然に反するからこそ勤め励み維持しなければならない大切を知ることだ、それこそが「人の道」だぞと老子は教えています。
事実を老子は知りなさい、体得しなさいと教えました。どのように歩むことが本当の「人の道か」を教えたのです。老子の「道の道とす可(べ)きは、常の道に非ず。名の名とす可きは、常の名に非ず。無名は天地の始めなり。有名は万物の母なり」を易しく表現しますと下のようになります。
○名もなく無限なもの
 これが道だといえるような道は本当の道ではないんだ。
 これが本当の言葉だといえるような言葉は本当の言葉ではないんだ。
 そんなものは人間が誕生したあとで勝手につけたもの、
 偉大なるものは名もなく無限なものだ。
○比べることは差別のはじまり
 人はなにかというと名前をつけたがるが、
 名前をつけると、あれがいい、これがいいと、
 比較し、差別がはじまる。
 差別があると欲が生じ、欲が生じると、
 あからさまな争いがはじまるのだ。
○もとは一つ
 対立する争いごとだって、
 考えてみれば、もとは一つであり、
 名前をつけて、区別し、差別をするから、
 争いことがはじまるんだ。
いかがです老子の思考世界、神のように永遠の力ある人などこの世には存在し得ないのです。己を自覚し「とらわれを離れ」自惚れず悲観しすぎないことこそ自縄自縛の人生から解放され新たに自由な展開できるのではと考えます。
今日、明日は昨日書きました「NPO・仮称・心の華、ハートランド」の活動拠点を探すために協力者有志とご一緒に土地を探しにでかけます。ありがたいですね、形のない志の時からご協力をいただける。どのようにお返しすればと考えるばかりです。黙々と真摯に事の実現成就に向かうだけと覚悟を新たにしています。今日も皆様が充実し楽しい一日でありますようお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
写真は懇親会で「お多幸さん」のおでん、もつ鍋、若竹の天ぷら、そして出席者のTさんと私の誕生月でしたので皆さんにお祝いをいただきました。マスター今月も美味しいお料理ありがとうございます。