無為に

おはようございます。

「にんげん学」京都講座ご出席の皆さんありがとうございます。孔子は六十耳順と言いました。私はなかなかにそうはいかないようで、年を重ね学ぶ事を重ねてきますと、私はこれでいいのだろうかとの思いを強くしています。六十六才ともなれば何事を聞いても耳にさわりさからうことなく、素直に聞きとることができると言うのですが、そうではなくなるようです。
疑問を持つと云う事も素直な一面ではあるとは考えるのですが、何事にでも原因経過があることは当然のこととしては考えるのですが、何とかならないのかと己の力の無さ未熟さに恥じ入ることを多くする昨今です。
「無為にして」。
昨日の「老子を読む」は「縮小したいと考えるならば大きくせよ」という話。しかし多くの人は大と小とを見れば「大に目と心を奪われ」るのが事実。山椒は小粒でぴりりと辛いとは申せ、世の実体は大が「正義である」との錯覚をしている人がまだまだ多い。
大が善で小が悪とは言わないまでも、劣っていると考える人は多いのではないでしょうか。大きな石を支えているのは小さな石である事実を知る人は少なく、その価値を尊いと考える人もこれまた僅かでありましょう。
批判をしているつもりはありませんが、大を為している国が優秀な人材を集め国策となしている教育現場で「優秀な豊かな人材作りをしているとは言い難い」からです。一向に「共存する社会」「支え合う社会」とはなっておらず、「孤立無業」の人が162万人という大なる人数に目を向けない、心を向けないことが気にかかるのです。
孤立無行の人を大と為すわけにはいきません、自然の世界は大と為せばただ滅亡するだけですみますが、こと私たちの人間世界の問題となりますとまったく違ってきます。大と為して、滅びるような仕儀になってしまったのでは不幸な人が多くなり、破滅の連鎖が大きくなるだけです。今でも少子高齢化で背負いきれずにいるのですから、何をか言わんやです。
皆さん「心学、道徳学」を読みましょう。読んで魂の襞(ひだ)に染みこませましょう。理解するのではなく、温冷を知れば自然触れたときに避けるように、互いが支え合わなければならない状況に遇ったときには「支え合う魂のある人間性に目覚めるため」です。点数で人を計ること以外に一朝事があれば「率先して難に赴く真の士、人間作りをすべき」です。先憂後楽する人作り、「天下の憂(うれ)えに先んじて憂え、天下の楽しみに後(おく)れて楽しむ」、「家国の安危については人より先に心配し、楽しむのは人より遅れて楽しむような。志士や仁者、人として家国や会社に対する心がけを持つ真のエリート、人作り」です。
最近二度目の手術を受け命の灯火がいつ消えるか分からない状態の中でひしひしと修己治人の「支え合う現場、実践できる学舎」を作りたいとの願いを強くしています。そのことで無為になれず無力感を感じているのかも知れません。
有為であり無為と為すためどうぞ知恵と力のある皆さん、そしてご理解いただけます皆さん「NPO」作りに合力下さい。今日も素晴らしい一日となりますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
写真は「にんげん学」京都講座へ出かける前郵便局に立ち寄ったとき近くの住宅にあった桜と修了後の懇親会「洋食・ぼんじゅーる」さんの美味しいお料理です。
メニューは、二色アスパラとハムの巻物。黒毛和牛のローストビーフ。広島産カキとズワイガニのフライ。黒毛和牛イチボのステーキ、しょう油マヨネーズ。マスターごちそうさまでした。