親を手本に

おはようございます。

「にんげん学」一宮講座ご出席の皆さんありがとうございます。秩序が乱れれば混乱が生じ一時の栄華があったとしてもやがて滅びるという昨日の論語、季氏(きし)第16の話は納得です。今日の社会の乱れがそれを物語っています。
才能、力があればあるほどこのことに気づくべきです。野心は良いかもしれませんが、類は友を呼びますので、やはり野心のある人には野心のある人が寄り集まりやがては自分が覆されることは一歩を踏み出したときから将来が決まっていることを知るべきです。やはり秩序、和を大切に在るべきです。
「親を手本に」。
この世に誕生し最初に自分以外と出会うのが両親です。両親が一番親しくありそして最初に乗り越えなければならない人間でもあります。ですから物事の根本道理を知りませんと教えられたり、躾けられたりしたことを了とすることができなければ、正されることを善しとせず反発することに終始する人生と化すのです。このようなことは実にもったいなく悲しむべきことで、両親という宝を持っていてもその価値がわからないことは不幸なことでもあります。
論語、学而第1、11条「子曰わく、父在(ちちいま)すときは其の志を観(み)、父没(ちちぼつ)するときは其の行いを観る。三年父の道を改むる無きは、孝と謂(い)う可(べ)し。」。
意は「孔子言う、父親の存命中は、子は多く父の命を奉じて行い、自分勝手に物事を処理し得ないのであるから、その子が真に親孝行であるかどうかは、その行いを見ただけではわからない。いかなる志を抱いてつかえているかという、その志の存するところを観察しなければならない。これに対し、父親がなくなれば、子は諸事を自分の思うままにすることが出来るから、そのなす行いを観察すれば、その子が真に親孝行であるかないかを判断することが出来る。この観察法によって人を観た場合に、もしその人が親の喪中の三年間、依然として亡き父のやりかたを守って、諸事をとり行ってゆくというようであれば、その人こそ真に親孝行の人であるといってよろしかろう。」。
子供はとかく若いうちは、親の言う事や、やり方に反発するものです。孔子は父親の気持ちや、やってきた事をよく見たり考えると、自分の人生の手本になるぞと、示唆しているのです。
親に反発して、親と違った事をやってきた人でも、親が死んで、自分が親の年令に近づいたり、子を持ったりしますと、親がなぜそのようなやり方をしたか理解し、親の深い心を知るという事もあります。孔子はそんな事も見通して私たちに教えているのです。
反発するという意識の中には親が正しいことを言っているという意識があるからで、それ以上に自分はもっと良い方法を知っているし、できるのだという背伸びが反発の言葉を発してしまうのです。反発したからと言って依怙地にならず善いことは学ぶべきです。
何か困ったことが生じた時、親の行動を思い返したり、感謝することが問題解決につながっていくのかもしれません。私は生みの両親はすでにありませんが、師という親が未だ健在であることが幸せです。思い返してみますと師に対し弟子の中で一番反発したのかもしれません。しかし一番のお手本がやはり師です。師の教えを守ってきたからこそ今日があると感謝しています。
心華寺に帰りますと研修が待っています。親、上司をお手本とする会社作りのお話をさせていただきたいと思っています。今日も素晴らしい一日でありますようお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
写真は先日名古屋観光で見た珍しいマンホールの蓋です。一枚は名古屋城で、一枚は名古屋の丸八、名古屋下水道局がミズスマシが住めるくらいにしようという事でデザインしたそうです。