切らない

おはようございます。

昨日から今夕までの一泊二日研修、大阪K協会の皆さんに参加いただいています。嬉しいですね、K協会様をご案内、お連れいただいたのがH先生、今から25年前に他の団体さんの研修でご来寺されていました。
25年ご縁がなかったのですが、この度の研修でまた復活、ご縁は切れてはいなかった、ありがたいことです。やはり「貫く」ことは大事だとしみじみ思いました。来週こられる企業様も同じように25年前に私の話をお聞き下された社長様のお陰です。
「切らない」。
私の心情は「縁は切られても私からは切らない」というのがあります。誠意とはこのようであると考えるからです。見栄も張りませんし、背伸びもしないのが私の人様へ対します「態度」。出来ないことに対面した場合には「はっきりと、ここまではできます」というふうに応え、出来る人を紹介します。自分で何もかもやろうなどとは考えません、そのような欲心は身を滅ぼす元であるからです。
心情にもう一つ「期待される人間ではなく、信じられる人間でありたい」というのもあります。もちろん信じられるという意味の中には期待も入っていますが、いつでもポストにベストを尽くす人間。
人は良い縁に出会いたいとは誰しも思うところです、しかしどのようなことが良い縁なのでしょうか、人様は皆さん懸命に生きておられます。明日こそはあすこそはという思いです。以前も書いていますが、直ぐ出る芽もあれば、一週間、十日、一年、十年とかかって出る芽もあるのです。
ですから私は今すぐに出ないとしても誠意を尽くし人様との出会いを重ねます。自分の為ではなく、人様のお力となりたいと考えるからです。
論語、衞霊公(えいれいこう)第15、23条「子貢問(しこうと)いて曰く、一言にして以て身を終うるまで之を行う可(べ)き者有りや。子曰く、其れ恕(じよ)か。己の欲せざる所、人に施すこと勿(な)かれ。」
意は「子貢が、ただ一言で、しかも一生涯、身に行ってさしつかえない名言がありましょうか、と質問した。これに対して孔子は、それは恕であろうか。その思いというのは、自分が人からされたくないと思うことを、人にもしかけないということである、と教えた。」。
自己実現を図るために私たちは学びます、対人関係の具体的の方法が孔子は「恕」ということを実践したのです。
自分がされたら嫌だと思うことは、人にしない、簡単なようで簡単でないのが、このような在り方です。逆の表現をすれば、「自分がしてもらいたいことを、人にしてあげること」です。これもなかなかに難しいものです。
これは思いやりのことを言っているのですが、思いやるというのは、思いやる対象があるのです。では誰に対して思いやりをかければいいのでしょうか。親兄弟、人様、周囲のいろいろな人には当然のことですが、一番肝心な対象は、じつは「自分」なのです。
自分に思いやりをかけるというのは、甘やかすことではありません。自分を励まし、自分を磨くことです。対人関係の中で体験した事柄はすべて「己を磨くこと」であり、「磨き得た力を人様の為に発揮すること」であるからです。
私は出会いの中でいろいろなことを味わい「いかに在るべきか」を学び教訓を得ました。その中で「人様から縁を切られても、自らは切らない」という心情となったのです。その証が繰り返しリピートでご来寺くださいます皆様や昨日ご来寺いただいたH先生ではないかと感謝しています。
教えに忠実に誠意を以て対すれば結果の生じるに遅速はあっても必ず善因善果、悪因悪果です。明日は心華寺「水子供養祭」です。午前10時からです「あなたしか知らない存在」是非おまいりください。今日も皆様にとり素晴らしい一日となりますようお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。