久敬

おはようございます。

師匠は鏡です。私の心身全てを映し出してくださいます。自分をチェックできる、だからこそ畏敬の念は大事と怠らず努めています。いつまで経っても師の前に出ますと一瞬にして「小僧」。具体的にどのような気持ちでいるかと言いますと、人様のご相談を受けたり、お話をさせていただいたりしていたとしても「一人前だと考えない」ということです。師にお育ていただき今日があるのですから当然です。
いわゆる慢心しない、満れば欠ける、咲いた花は必ず散る、自然界のお月様や花は欠けたとしても又満ち、咲きますが、人間世界では慢心して堕落してしまえばなかなかに復することは至難であることをさまざまな場面で目の当たりにしてもいます。
「久敬」。
「きゅうけい」と読みます。私はどなたに対しましても「尊敬の念」を以て接しております。論語、公冶長(こうやちよう)第5、17条「子曰く、晏平仲(あんぺいちゆう)、善く人と交わる。久しくして之を敬す。」。ここから久敬という言葉が生まれました。
意は「孔子言う、晏平仲はまことに人との交際の要を得た人である。人は久しく交わると、とかくその人の欠点やあらが目について来て、次第に尊敬の念を失いがちであるが、晏平仲に限っては、長く交われば交わるほど、人がこれを尊敬するようになる。」。
晏平仲は、齊(せい)の大夫(たいふ)(大臣)で、名を嬰(えい)といいました。当時、隣国衛の国内では諸党派が分立していて、その間に処する交際の道は極めて難しいものがありました。然るにこの晏平仲は、その何れの人からも尊敬を受けるだけの道を心得ていた、と孔子は讃えたのです。
孔子は35才の時、齊に行って齋の君の恵公に謁し、この時、孔子の齊に仕えるのを妨げたのが晏平仲であったといわれます。いわば、個人としては好感を持ち得ぬ立場の人でありますが、なお且つ、このような評価を下しておるところに、孔子の公明な態度を見ることができます。このようで在りたいものです。
若いときこの条を読み、晏平仲ように在りたいと胆に銘じました。決して人を侮らない、慢心しない、一人前になったなどと思い学ぶ心を失わない、「破滅は己が導く」ことは歴史が教えています。人様から尊敬されることは至難ですが、「人様を尊敬することは可能であり、自身の自覚」です。
師匠にお会いして心身が清められました。今夜は「にんげん学」大阪講座、「老子を読む」です。初めての方もどうぞお気軽にご参加ください、事前予約は不要です。会場は心華寺HPにてご覧になってください。阪神地区の皆さん会場でお待ちしております。今日も素晴らしい一日となりますようお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
心願・大願をお持ちの方は21日、100日、1,000日まいりをお勧めします。
写真は比叡山麓の里坊の石垣(穴太積みで有名)、穴太積みは野面積みといわれ表面の美しさで有名です、そして参道。大きな石を陰で小さな石が支えているという話を聞いて修業時代は勇気をもらいました。