暑さ寒さも

おはようございます。

昨日から春のお彼岸、どうぞ皆さん普段以上に「在(い)ますが如く」ご先祖様へお仕えください。春秋共にお彼岸は一週間あります、心してお勤めくださいますよう。今日は愛宕寺「春季・彼岸法要」午前10時からですご一緒に感謝のご焼香を致しましょう。
「暑さ寒さも」。
暑さ寒さも彼岸まで、この言葉は季節を表していることは当然ですが、「心の内を言っている、教えている」と受け止めることも大切です。3月は春のお彼岸、9月は秋のお彼岸、春秋2回の彼岸があります。ありがたいですね、忘れることの無いように先人が半年ごとにお作り下された。
何事にも節目、節というものがあります。節目、節を境に意識を新たにしなさいということでもあります。節目を意識しませんと成長もなく広がりもありません。季節は回りますが同じではありません、年令も重ねますし、一年の間にはいろいろな事が起きてもいます。当然意識にも変化があるはずです。年々歳々花相似、歳々年々人不同です。
意識や他のことに変化があったとしてもお彼岸という節目があることで自身を見失うこともせずに在ることができることに感謝しなければいけません。だからこそまた新たな気持ちとなることもできるのです。ですから節目を確かにしますとさらに成長があるのです。なぜかと言いますと、節とは一旦「休め」という天の意志。自然の意志に逆らって感謝の先祖供養を怠りますと、次が無くなるのです。
休めというのは「力を蓄えよ」という天の意志。前進ばかり考えていますと「疲労が回復されず、頭の回転も鈍る」のです。春のお彼岸は冬の季節を耐えてきたので、温かくなったこの季節に芽を出すには「少し休憩せよ、ご先祖に感謝せよ」ということです。
私たちは日々懸命に暮らしています。先に先に、明日こそは明日こそはという思い。そこでいよいよ春間近というこの「暑さ寒さも彼岸まで」という前にして一旦休むことで英気を養い再誕するのです。それもただ単に休むのではなく、先祖供養という過去に思いを寄せることで、一旦バックしてはねる、飛躍する、温故知新する。ジャンプする前には必ず屈むことと同じです。
屈むこともせず、バックすることもせず、大きな飛躍はあり得ないのです。この節目にご先祖供養を確かにするお家、人こそが更なる繁栄がもたらされます。愛宕寺でお待ちしております。新たな週をご先祖様に感謝をすることから始めましょう。今日も素晴らしい一日となりますことをお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
写真はJR宇治駅九州新幹線の車内の木彫りの飾り、下関駅から愛宕寺まで歩いている途中で咲いていた春を告げるタンポポ。春は足下にもありました。昨日の道中の様子。