柔軟性を

おはようございます。

愛宕寺「春季・彼岸会法要」強い雨の中ご参拝ご焼香ありがとうございます。そのような中おまいりいただきご先祖様はより一層お喜びです。
「在(い)ますが如く祈る」いいですね、何がよろしいかと言いますと自身の気持ちがゆったりとして穏やかに暖かになります。
目の前に亡くなった両親、兄弟、子供、先生、友人、知人が在(い)ますが如くに慕い礼拝する。時には涙し、励まされる。「在ますが如く」という言葉は知っていましたが若い頃には仏壇、お位牌を前に話をすることなどピンときませんでした。やはり祈りを重ねてきたからでしょう、この教え考えは当然と思うようになりました。明日は心華寺「春季・彼岸会法要」午前10時からですご一緒にお祈りしましょう。
春の柔らかい陽射しの如く感じる愛宕寺の法要、雨だったせいか一層落ちついて穏やかに法要ができました。優しさは柔軟さです。堅い大地から新たな芽が出るのは「柔らかいからです」。柔軟さがあればどのような堅いところからでも芽を出せます。その柔軟性は「在(い)ますが如く」日々ご先祖様へ礼拝する心から養われるのです。
昨日は各地で豪雨と強風に見舞われました。被害に遭われました皆様には心よりお見舞い申しあげます。どうぞ気持ちを強くしてお過ごしください。
「柔軟性を養う」。
柔軟性と弱いとは「似て非なるもの」です。柔軟性を持つ人は決して己を見失うことなく、柔軟になれる人は「軸を確かにしている人、目標を忘れない人」です。何があったとしても人様を思いやる気持ち使命を忘れないからです。一時の感情で喧嘩をしたり、争ったりしないのです。
人生を歩む上において勘違いしてはいけないことがあります。人様より優れていなければ何かを得られず、存在感が無いなどと考えない、思い違いをしないことです。
私たちは人様と競争するために生きているのではありません。自分の人生を全うするためです。周囲の人は「すべて我が師」なりです。「子曰く、賢(けん)を見ては斉(ひと)しからんとことを思え。不賢(ふけん)を見ては、内(うち)に自(みずか)ら省(かえり)みる也(なり)。(論語、里仁第4)」。が人様に対したときの心がけの一つです。
ですから何かで人より劣っていたとしても弱いとは考えないことです。先日も書いていますが、私はほとんどのことで人様より劣っています。劣っていますが、そのことで自分を見失っているわけではありません、目標を持っていたからです。
私たちは可能性を秘めています。可能性は上昇する可能性、下降する可能性双方あります(論語、憲問第14、子曰く、君子(くんし)は上達(じょうたつ)し、小人(しょうじん)は下達(かたつ)す。)。私は道理に基づいて歩み上達進化する可能性を信じ歩んでいます。争うためではありません。「窮すれば変ず、変ずれば通ず」。何かに突き当たれば原因を追及し方向を変え又歩み直せばいいのです。大きく蛇行すればこそ大河にもなります。
これが真実であり、事実です。柔軟が一番、柔軟性を持ち何ものにも突っかからない陽気があればこそ物事を育むのです。突っかかってイライラして陰気を出しわざわざ人から嫌われるような愚を犯さないことです。真理を知れば馬鹿な争いをせず、真っ直ぐに人生を全うできるのです。
そのためにも日々ご先祖様に手を合わせ意思の統一を身につけましょう。軸がぶれているから柔軟性が養われず弱くなるのです。基軸を道理に真っ直ぐ確かにすれば柔軟性が自然身につきます。軸がぶれなくなる為の第一歩が毎朝「在(い)ますが如く」手を合わすことです。今日も素晴らしい一日でありますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。