新たな楽しみ

おはようございます。

「京都版ぶら和尚」ご参加の皆さんありがとうございます。お陰で楽しい一日でした。遠く東京からご参加くださいましたTさん感謝です。来週の「東京版ぶら和尚」でお会いしますこと楽しみにしております。
映画のように過去に飛んでいくマシーンがあったなら一度「角屋で花魁と楽しんでみたいような気がしました」。どのような思いで楽しんだのでしょうか、想像できませんね。
形を変えて皆様とのお付き合いは楽しいものです、いろいろな自分と出会える。初めて見る観光スポットの散策も楽しいですが、新しい自分や人様との出会いがこれまた楽しい。
四季折々同じ場所の景色が違って見えるのですから私たちも当然変わって当たり前なのでは、変わらない方が不思議なのでしょう。このように落ちついて考えられるのもやはり年を重ねたせいかも???しれません。
「新たな楽しみ」。
年が行くと円くなると言われます。まったくその通りだと思います。全てに円くなるのかと言えばなかなかのことですが、許すことに幅が持てるようになってきたことは間違いがないと感じます。
何でこのような心境になってきたかと考えてみますと、「自分の都合で人様を見なくなった」ということに思い当たります。何でもかんでも以前は自分の都合で対人関係を持っていたような気がします。ですから自分が気にくわないと「怒ったり、否定したり」していました(情けない)。いわゆる自分を基準にして人様の善悪を決めていたのではないかと反省します。そして縁を切られることも多くしました。
以前京都、大阪、一宮で「孟子(もうし)」を読みました。離婁章句(りろうしようく)下8に「人、なさざるあり。しかる後をもってなすあるべし。」。意は「人には、これだけは絶対にしてはいけないということがある。まずは、それを十分に自覚することだ。何をするかを決めるのはその後からでよい。」。
同、尽心章句(じんしんしようく)上33「一無罪(いちむざい)を殺すは仁にあらざるなり。その有(ゆう)にあらずしてこれを取るは義にあらざるなり。」。意は「罪もない者を自分の都合で殺すのは仁愛の流れに反することだ。自分の所有物でもないものを取るのは正義に反する行為だ。ならば、絶対に人を殺さない、絶対に物を盗まない。まずは、この二点を遵(まも)ろうと決心することから始めるといいだろう。」。
このような孟子の教えを少し体感できるようになって来たのかも知れません、そして人様のことを新しい目、意識で拝見し接する事ができるようになり楽しむことができているようです。
また離婁章句下19「人の禽獣(きんじゆう)に異なる所以(ゆえん)のものは、ほとんど希(まれ)なり。仁義によりて行うか、仁義を行うにあらざるか、なり。」。意は「人間が動物とちがう点はほんのわずかだ。思いやりと正義とを基準に行動できるか、できないかの一点にあるんだよ。」。
口で思いやりを言いながら人様に不平を感じているのは思いやりがあるのではなく、我欲であるのだということを漸くに感じています。これまで多くの方を殺してきたのかもしれないと反省しています。60耳順は66才になっても未だ遠い感じですが、少しずつ円くなるように努めます。「ぶら和尚」これからもよろしくお付き合いください。今日も皆様の一日が素晴らしい一日となりますことをお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
写真は「島原・角屋」の表構えの板塀(現在の建物は寛永18年、1641年造)、中は撮影禁止でした。新撰組屯所遺跡「八木邸」、新撰組初代局長、芹沢鴨が暗殺された部屋で話を聞きました。歴史は凄いですね。集合写真と長屋門。そして壬生寺(壬生教言で有名)での集合写真。京のじゅばん&町屋の美術館「紫織庵」、江戸後期、寛政・享和時代の家。ガラスが明治時代の物で当時千円で家が一軒建ったという時、一枚3千円だったそうです、驚きです。そしてお昼を頂いた「五味調和、懐石・飄樹」。建物は明治初期の物。料理の素晴らしさもさることながら京都市からも表彰されるほど建物を大切にしている最高のお昼のもてなしでした。
京都はやはり凄い、の一言でした。参加者の皆さん幸せな一日でしたね、次回を楽しみに。