真の自由

おはようございます。

「にんげん学」小倉講座ご出席の皆さんありがとうございます。「美があるから醜がある」「善があるから悪がある」意味深です。老子のま逆からの発想。相対的世界から一方を見て悩みを作り苦しみを作る愚かから目覚めなさいと教える老子、目覚めましょう。悪い方、片方だけを嫌うと良い方も逃げるぞ、だから何事に対しても「無為自然に為しなさい」と教える老子、修行しましょう。先ず観念として腹の底にたたみ込み「無為にして為す」実践を。
誰かが枠にはめようとするから醜があり、悪ができる。その通りだと思いますが、やはり社会は自由であっては不自由が生まれるのが道理。また不自由を感じて自由を求める、そこでどのような「自由を理想として実現させるのかが人の道の大切さであり、私たちの使命でもある」のです。
「人の道」として「人としてどう在るべきか」私たち一人一人が自覚して歩むことです。誰も争いを起こしたくはないと考えているはず、「比較されたくない、けど認められたい」、矛盾です。「矛盾を超えた和合をどうすれば実現できるか」を学び、和合を自然体で行動できるよう普段の習いとして身近な世界で「目的を忘れずお互いが一歩譲り合う」べきではないでしょうか。それが「心学の大事、要」です。
「真の自由」。
私たちは束縛を嫌がりますが、束縛を求めます。枠、型にはめなければ人間形成がならないのも事実。道や法則に沿えば不自由でありますが、道理に沿わなければ何一つ物事の完成は見ません。そこで問題なのがやはり「自覚」です。人に束縛されずに「自分で束縛する自律、自戒」。でなければ永遠に人として人の道を歩むことは不可能です。自然も一見自由に見えますが、やはり「自然には自然の秩序があります」。
家には家のルール、国には国のルール、学校には学校のルール、社会には社会のルール、会社には会社のルールがあるのです。ルールは所によって変わると云う事を知ることも必要です。ルールがあることがわかれば自ずから自律と自戒はしなければなりません。でなければ人様から違反の指摘を受け、他の戒めを受け嫌な思いを多くするのです。このことは当然のこととして認識すべきです。知識とは学問の知識もさることながら、それぞれのルールという常識も知識としていなければなりません「郷に入りては郷に従え」という言葉も。
今日心華寺に入山されます120名の新入社員の皆様は寺という束縛の世界を初めて体験し何を感じられるでしょう?、単なる束縛感、自律自戒の必要性、いずれかではあると思います。
社会の中で志、自己実現を達成するためにはいろいろな思考が必要ではあります。一番は「心底に何を持っているか」です。何故ならば私たちはいつも書いていますが外の刺激で気づいたり、逃避したくなるのは間違いのないところだからです。
そこでやはり「心底に置く思考観念、思考行動哲学が大事」です。菜根譚(さいこんたん)前集、160「人を信ずる者は、人未(ひといま)だ必ずしも尽(ことごと)くは誠ならざるも、己は則(すなわ)ち独(ひと)り誠なり。人を疑(うたが)う者は、人未だ必ずしも皆は詐(いつわ)らざるも、己は則ち先(ま)ず詐れり。」。
意は「他人を信用する人は、他人は必ずしもすべてに誠があるとは限らないが、少なくとも自分だけは誠があることになる。これに対し、他人を疑う人は、他人は必ずしもすべてに偽りがあるとは限らないが、少なくとも自分はまず欺(あざむ)いていることになる。」。
どうです、作者洪自誠の物言い、思想行動哲学、うなってしまいます。新人の皆さんどうぞ先ず新しく出会った方々を信じましょう。そこから新たな人生の門出が素晴らしいものとなるのです。自分の心を真に自由とするためにも「信」が大事です。「疑いは他人が生み出すのではなく、自らが生み出すのだ」ということを知るべきです。今日も素晴らしい一日でありますようお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
写真は昨日北九州市小倉城の桜を勉強会会場に入る前一人楽しんできました。一枚は縁起の良い名前の橋の上からパチリ。そして「お多幸」さんの美味しい料理です。お品書き、鰹たたき、太巻き、鮟鱇の唐揚げ、今回は般若湯の美味しさに負けて名物のおでんの撮影を忘れてしまいました、マスターお許しを。