教えない罪

おはようございます。

昨日から120名の新入社員の皆さんが研修を受けています。大変な苦労だと思われます。すべて押しつけ、強制だからです。しかも初体験で慣れていない。しかし何も変わったことをせよと言っているわけではありません。
1、姿勢を良くする。2、表情を良くする。3、返事をはっきりする。4、行動は敏速に。5、何事にも率先して対する。の五つです。全て対人関係の基本態度。ここから、出会いの一瞬、何事も始まるのです。これが「一期一会」、一度の出会いが一生のお付き合いとなるか否かのポイントです。
「教えない罪」。
社会は対人関係の善し悪しで将来の展開が違ってきます。ですからどのような態度、姿勢で対人関係を結ぶかです。若い皆さんも人間関係の大事はよく分かっているはずです。誰しも「一見しただけで相手の人柄や知性、能力を見分けることは不可能」なことです。その不可能なことであっても社会、会社は人柄や能力を判断するのです。この「不可能であることを確かに知るべき」です。そして態度の重要性を知り基本姿勢を身につけることです。
姿勢とは当に字で示すように「姿の勢い」です。いわゆるやる気、内面の「意識を姿勢という」のです。ですから私たちの世界では「応対(どのような態度を人様に示すか、姿勢で接するか)・対応(どのような態度で指示を受ける姿勢をとるか)」の「基本態度をみっちりと躾けられます」。躾は「押しつけ、強制」です。
それは何も師が権力を誇示するため、ふるうためでもなく、自身を正しく「受けいれて貰え・好感を持って受けいれられよ」と教えているのです。いわゆる教えるというのは「ノックをしている」と取ることです。反応が悪く受けいれられなければ「何事も始まらないぞ」と教えるのです。
理性と感情とでは当然感情のほうが強く働きます。否定と肯定とは人情的に肯定がよろしいのであって、出会いの時新人の皆さんが先輩諸氏に対して姿勢をよく、表情もよく、返事も行動もハキハキキビキビしていて、どのような仕事でも率先して受けいれれば、良い感情を持って受けいれられるのは当たり前のことであって、何も特別な事ではないのです。
しかし、いつも書いていますが、何事も身についていなければ行動できません。ですから日々意識して実践の場で修練です。
その修練は日常社会生活、仕事の場で磨かれていくのです。現場でなければ成功もせず、誉められもせず、失敗もせず、恥をかかず、推し進めることも、修正することも気づかないのです。この修練は幾つ何歳になっても必要です。
今当に選抜高校野球が行われています。いくら素振りが大切でも、実際投手が投げたボールを打って初めて分かることが多いのです。でなければ素振りの必要性も感じず、修正出来るはずもありません。いわゆる机上の空論で終わるしかないのです。
新人の時にこの事実を体得しておくのと、頭の中でただできると錯覚しているのとでは、日にちが経過すればするほどその差は天地ほど広がり大きくなるのです。王陽明が言った「事上磨練」実際の行動が真実社会に役立つ人間として磨き上げ作られていくのです。
新人の時は「失敗は恐れないこと」です。失敗を恐れないことは難しいことですが、「失敗はするものだ」と確かにすることです。どうしてこのようなことを言えるのかと言えば、これから行うことは全て「初」なのです。初めて行うことで上手く行くはずもないのです、言葉を換えれば失敗して当たり前、もし成功していれば、むしろ「伸びしろ」が少ないと言えます。「初歩的なことで自惚れるから」です。
また失敗しないでおこうとして「オドオドビクビク」する態度は印象を良くしません。これも訓練です。知的スキルと、行動のスキル、知的キャリア、行動のキャリアは積んでこそ培われ養われることを皆さんに知らせておきます。何故ならば若い人が出来ないことは大人の「教えない罪」と考えるからです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
写真はようやく三分咲きほどになった心華寺の桜。昨日から始まった新入社員研修の誠澄の食事指導風景。