反省できる機会

おはようございます。

今朝は先週末の荒れ模様とうって変わりお星様も美しく、お月様は細い鎌の先のような美しさで気持ちの良い朝です。新しい週の始まり新入社員の皆様も入社一週間、いろいろな初めての体験をしたのではないでしょうか、これからが踏ん張り時です。
心華寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」おまいりありがとうございます。天候が不順でしたので心配しましたが沢山の方におまいりいただき感謝いたします。御仏の広大無辺な道を歩んではいるつもりですが、やはりいつも見えるお顔が見えませんと寂しい思いをするのはまだまだなのだと反省しております。
御仏はいつも様々なお姿となって教えを示してくださいます、ありがたいことです。そして気づきをいただける、ご利益です。信仰、信じるとは何とありがたいものなのでしょう。未熟さを何時も教えてくださる、そして為すべきこと、歩む道を示して下さいます。
「反省できる機会」。
毎日至らないところを示してくれるのは様々な出会いによってです。自分の信じた道を進む道中に試練、喜びが待っている。そのことを体験経験すればするほど嬉しくなります。悲喜交々、辛いことがあるからこそ喜びも倍する、喜びがあるからこそ歎きを知り、そこで又為すべき事が示される。歩むべき道がなければ自分を正すこともできません。そして正す喜びも知ることが出来ません。
自分の信じた道を歩むからこそ過程に於いて問題や試練が起き、また喜びも生き甲斐も得、かけがえのない友とも出会い、使命感もさらに強くできます。不器用に一筋の道を歩んだからこそではなかったかと感謝しています。
論語、雍也(ようや)第6、10条に「冉求(ぜんきゆう)曰く、子(し)の道を説(よろこ)ばざるに非(あら)ず。力足(ちからた)らざればなり。子曰く、力足(ちからた)らざる者は、中道にして廃(はい)す。今女(いまなんじ)は画(かぎ)れり。」。
意は「門人の冉求が、先生の教えの道を心に喜ばない訳ではありませんが、ただいかにせん、私の力がそれに及ばないものですからと、暗(あん)に断りを述べた。これを諭(さと)して孔子は、真に力の足りぬ者ならば、途中まで行って力尽きて止めてしまうであろう。然(しか)るになんじは、自分はだめだと、初めから自分の力に見限りをつけている。甚(はなは)だよろしくないことであると、言った。」。
力が足りないのなら、やるだけやって途中で倒れればよい。やりもしない前から「できません」と言うのは、自分で自分の限界を作っているんだぞ戒めているのです。「ドキッと」しませんか皆さん。私はこの条を読んだとき「自分のことだ」と思いました。
いろいろな問題が生じるのは信じた道を歩むからこそです。問題が起きて何もせずに止めるようでは何をやっても事の成就はありません。反省して又やり直せばいいのです。ステップアップできるチャンスをいただいたのですから。新人の皆さん、中堅の皆さん人生やる前から放棄してはいけませんよ。無心に事に対すれば周囲はその熱意にほだされ放っては置かないのです、それが人情というものです。
今日は90名の新入社員の皆さんが入山くださいます、皆さん気をつけて入山ください。今日も皆様の一日が素晴らしい一日でありますようお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
写真は昨日の「花祭り」の様子ピカピカの一年生のお子さんが「お釈迦様誕生仏に手を合わせ灌仏(甘茶をそそぐこと)」する姿、お子様の姿こそが御仏に感じます。寺からのプレゼント、おめでとうございます親孝行して下さい、お願いしますね。