難事は

おはようございます。

朝と昼の気温の差があり気分がピリッとします。外患がなければ亡ぶと先日書きました。人間は外の刺激がなければピリッとしないのも事実です。よほど理不尽なことでない限り感謝すべきでしょう。
木々の表皮は一見硬いように見えますが、柔軟性がなければ外からの栄養を受けいれられず成長も無く、毎年花も咲かせることはできません。私たちもいろいろな刺激を柔軟に受けいれ栄養として成長すべきでしょう。
研修生の皆さんは寺の苦しい研修を体験しいろいろと感じていただいたに違いありません。これから先の人生にもいろいろな艱難辛苦が待ち受けています。ときにその対処法が大事です。20名の皆さんはお昼から帰りますが、先日来心華寺の門をくぐられました皆様にも心得ておいて欲しいことがあります、もちろん読者の皆さんにも。
「難事は譲る心で」
菜根譚前集35条「人情は反復し、世路は崎嶇(きく)たり。行くに去(ゆ)けざる処(ところ)は、須(すべか)らく一歩を退(しりぞ)くの法を知るべし。行くに去(ゆ)き得る処は、務(つと)めて三分(さんぶ)を譲るの功(こう)を加えよ。」。
意は「人の心は時々刻々と変わりやすく、人生の行路はほんとうにけわしい。そこで行こうとして行くことができない時には、まず自分のほうから一歩を退くというやり方を知らなければいけない。
また、行こうとすれば行けるところでも、そのまま自分だけの思い通りに行ってしまわないで、なるべく三分は人にゆずる方法を考えなさい。」。
問題が起きるのは自分のせいだけではありませんが、余りにも自分の考えたことに固執してしまいますと、自分の心も害しかねませんし、人の心をも損ねてしまうということの種を作りかねないのです。そこで難事に遇ったら退くことも方法の一つであることを明快にすべきだと教えているです。
自分と違った意見や行動が必ずしも道を得る障害となるとは限らず、自分の価値を失うことにもならず、逆に見識が増え、器量を大きくするきっかけともなることを思うべきです。それほど「譲る」ということの意義は大きいのです。
我を張りすぎるのはよくありませんし、一歩ゆずるということは難しいことですから知るべきです。譲ることで目標に到達することが出来るのです。争って元も子もなくすようであってはなりません。今日も素晴らしい一日となりますことをお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。