相違はない

おはようございます。

今夜は「にんげん学」一宮講座、明日は東京講座よろしくお願い致します。不思議ですね、というよりも当然なのかも知れませんが、心学を修めていますとモチベーションが落ちません、行き詰まり感がないのです。行き詰まるのはやり方がまずかったからだと素直に反省できるからです。いわゆるやり直しをすることに何のためらいもなくなるのです。
いつも書いています「後悔は先に立たず」。先に立たないのなら失敗しても後悔しようもないのです、何故ならば「失敗しようなどと考えず前進するから」です。成功を導きたいという強い意志があるのであれば「素直にやり直す」という道理に気づくはずです。
「そんなに相違はない」。
私たち人間は皆、似たようなものです、そんなに差があるわけではありません。論語、衞霊公15、38条「子曰く、教有(おしえあ)りて類無(るいな)し。」。意は「人はいかなる種類の人でも、教育の善悪によって支配されないものはない。」。
人というものは教育によって善にも悪にもなるのです。人間の種類に善・悪があるわけではないのです。この教えに心の在り方、心構えが明快に示されています。人間はまっ白な状態で生まれてきます。しかし、その後に受ける教育によって善人にも悪人にもなってしまうものなのだと孔子は教えるのです。
私は少年時代は生まれながらにして出来不出来が決まっているのだと不平不満タラタラ、親に文句を言って困らせていました。しかし長じてこの条を読み学ぶ事の凄さを知りました。陽貨第17条に「子曰く、性は相近し。習うこと相遠し。」とあるのを見てさらに勇気をもらったのです。意は「孔子言う、人間の天性は、甲の人と乙の人との間に大差のあるものではなく、大体似たり寄ったりのものである。ただその後の習慣によって甲の人と乙の人との間に大きな距離の差が作られて行くのである。」。
いかがですか、勇気が持てる教えでしょうこれは。愚鈍であった私には希望の教えであります。そして教えを実際に役立てる生活態度が「家にいる時は親孝行をし、外に出れば年長者に仕え、信義を重んじ、周りの人に愛情や思いやりを持つ」ことだと孔子は説いています。
学んだ事を身近な人達に実践することでさらに磨きがかかり向上し、信頼を生むのだと教えるのです。私たちは「学ぶ事で成長する」のです。人は「嗜欲(しよく)(好み、欲)」とか「喜怒(きど)の情」は賢者も愚者も基本的には変わらないのです。ではどこで賢者と愚者が分かれてしまうのでしょうか。
「賢者は能(よ)く之を節して、度に過ぎしめず、愚者は之を縦(ほしいまま)にして、多く所を失うに至る」(貞観政要)に、このようにあります。せっかく上に立ったのに地獄に真っ逆さまに堕ちる人もあり、下に居た人が突然上位に来ていた、などということは世間では珍しくありません。いずれにしましても、上が下になるのも、下が下のままにあるのも、嗜欲、喜怒の情であること、そしてこれらの相違は日々何を習いとしているかなのです。
人は生まれながら相違はそんなに無いにもかかわらず出来てしまうことは何を念頭に置いて日々暮らしているかにあるのです。一宮の皆さん学びは心にゆとりと希望と仕事を失わせないのです。会場でお待ちしております。今日も素晴らしい一日となりますことをお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
写真はシャクナゲ、あせび、つつじです、きれいですね。花は紅柳は緑。若葉の中に優しい赤白、自然は素晴らしい。