器を大きくする

おはようございます。

「感謝とは、天を感じ、神に出会う行為(良い縁と出会うこと)」です。また変なことを書いているなと思われるかもしれませんね、何かで感謝の思いを感じたときにこのようにとらえてください。
そのように捉えることで困難と思われる事柄が「大きなチャンスと変化する」からです。なぜなら「幸福は辛苦と共にやってくる」からです。逆に言えば「幸福の後には辛苦がやってくる」のです。しかし感謝に天意を感じることができるようになれば、辛苦も辛苦と気づかないように当たり前として受け止め、感謝していますから苦難と感じずチャンスと捉えるのです。
「器を大きくする」。
大きな辛苦を乗り越えることのできる人ほど大業を成し遂げるものです。ですが、そのためには、辛苦を辛苦と感じないほどの大きな器が必要です。
大きな器となるには、まずは天への感謝の心に徹することです。感謝の心に真に至れば、天の意思がわかるようになるものだからです。辛苦は天から与えられた試練と受け止められるようになるということ。
いやなこと、辛いことを受け止めることは至難の業でもあります。ですがここを受け止めなければ器は大きくはなりません。
感謝する人生を送りチャンスとするか、感謝せずにチャンスを逃すのかが人生。東に向かいながら西には行けないのが道理であるように。
いつも書きますが、辛苦や困難に対処するのは「心」です。ですから「心胆を練り上げる必要性がある」のです。練り上げる方法が「坐禅瞑想・祈り」です。坐禅瞑想・祈りをしますと面白いことに必ず「雑念妄想が起こる」のです。いわゆる「自分の心を占めている思いが浮かび上がってくる」のです。それを真っ正面に据えて瞑想し祈ってこそ「無念無想」となり得るのです。
無念無想となるのは時間を要するのはいうまでもありません。修養は生涯のものです。毎日が新しい日々に対しているからです。いつでも心華寺へ修養にお出かけください。そして大いに感謝ができ天意を感じられる自分と出会いましょう。今日も素晴らしい一日でありますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
子供時代を懐かしく思い出し、思い出すと言うことは私にもまだ童心が残っているのか?な。少し喜んでもいいのですかね・・・?。男の子達の楽しそうな姿、女の子の真剣な眼差しで話す姿、何を話しているのでしょうね?。


部屋の窓から毎日拝んでいます竹林越しの朝日。