正す

おはようございます。

仏像を彫る仏師の方がこんな話をしたことを記憶しています。「仏像を彫るとき余分なところを削ると仏様が現れる」という話です。が〜んと頭を殴られたように魂に響きました。
我を削る、「おれ我、わたし我という我」、これを削ることが人生大事なのだとそのとき思い知らされました。我の衝突で自分を見失い、相手を見失う。
「正す」。
私は学ぶ事は「プラスすること」だと最初の頃考えていました。上の言葉を聞いたとき大きな過ちだと気づかされたのです。社会は評価社会ですから評価は大事なことです。自分の位置を客観的に知るためには大事なことです。それまでは何かをプラスすることで評価を得ることだと考えていたのです。
知的評価、技術的評価を得ることは大事です。それ以上に人間的評価が人生の基本です。そのためにも「我を張らない」こと、「我を削ること」がやはり大事です。知識も技術も教えていただきました。学ぶ事は「己を正すことである」と捉えています。「知的、技術的なことを得て、得意になって威張って行儀悪くなることではない」のです。「我欲を捨て」るのが学びです。
学びを教えていただき知的スキル、技術的スキルを高めさせていただき現在が在ることを思えば感謝しかなでしょう。威張ることも、我を張ることも恥ずかしくて出来ようはずがないのです。何か得てしまいますと教えていただいたことを忘れ、自惚れ威張り我を張り、人間的評価を下げ、余計に意地になり我を張るという悪のスパイラル。
学びは「己を正すことにあり、我欲を捨て、正しい世界に導くためにあるる」ことを忘れてはいけません。
「自分のことはわかりにくい」もの。「世間の人が何を嫌い、何を好むかを察することは容易」です。逆に「自分が何を嫌い、何を好むかを察することは難しい」のです。
これは「自分を知り自分の天命を尽くすことほど難しいことはない」ともいえます。自分が「どういう素質、能力を天賦されているかを知り(知命)、知ってこれを完全に発揮してゆくこと(立命)」これができる人は少ないのです。
このことを確かにすれば我を張るような愚かをせず、我を捨てて日々在るべきです。であるならば人様は私を見てくださるわけですから、命を知り、立命がなるのではと最近は非常に強く思うようになっています。
自分を知ることが至難であることを知ればこそ、「学びから己を学ぶ、己を知る」のです。今日も充実した一日を過ごしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。