敬と愛

おはようございます。

私たちは滅多に人前では行儀は悪くなりません。また上司から指示を受ければテキパキと処理も出来ます。しかしその行儀の良い私、仕事ができる私が独り立ちをして行儀良く、仕事もテキパキとできるかとなりますと、はなはだ?ではあるのです。
よく仕事ができるので独立をしたのはよいが、ダメにしてしまう、というような方を見ます。果たしてこのような方は本当に仕事ができていたのでしょうか、否、できていたに違いありません、がしかし仕事が立ちゆかなくなった、それはやはり仕事をしていたのではなく、指示に従っていただけのことだったのです。
仕事が何故仕事となって目の前に仕事となって現れたのかということを考えたこともなかったのではないでしょうか。学校での成績の良い人が勉強が出来ると錯覚、賢いと勘違いして社会に出てつまずいてしまうのとよく似ています。勉強が出来たのではなく、処理できた、物覚えが良かったということだけだったのです。
このような方はいわゆる「仕事は作り出されるのだ、作ってくださるのだ」という「感謝の念、思いがない」のです。人として大切で大事な一つ「情・感謝」を感じ思うことができていなかったのです。
「敬と愛」。
感謝は「尊敬」ともいえます。勉強なり、仕事が目の前に在ることを「尊敬できない人は一生感謝がなく、不満だけの人生を生きる」のです。なぜかと言いますと、「やっているという念、やってやっているという思いしか頭の中にない」からです。
このような人は「人様や仕事に対し尊敬の念、感謝の思いを払うことがない」のです。このような人ははなはだ「可哀そう」と言わねばなりません。自分が携わっている人や仕事に尊敬を持てないのですから、当然「愛などは感じた事がないのではないでしょうか」。
上記に書いたように指示された時は仕事が出来たけど、独立したら仕事が無くなった、学校の時は勉強が出来ると言われた、だが社会に出てつまずいたという方は、「敬愛の心が無い」のです。いわゆる「感謝がない」。
素晴らしい能力だ、素晴らしい成績だと言われたのは何故だったのでしょう。簡単明快「仕事を指示してくれた、勉強の材料を与えられた」からです。
人間性は「何かを通して表現している」ことを「少しの情があれば理解出来たはずです」。ところが若い時や社会に出始めたとき、余りにも早いときに「ちやほやされ愛情を先にかけられてしまった」ことで、感謝や敬愛が大事であることに「気づけなかった不幸」でもありますし、大人が「教えなかった罪」でもあるのです。
私たちはもう立派な大人、気づきましょう、気づくべきです。何故人様はこの私の努力を認めてくれないのだろうと悶悶としておられる皆さん今夜は「にんげん学」一宮講座です。「仁愛、敬愛」を説く「論語を読む」です。人間性は「こころ」です。自分を通すことで「更に善くするのか」、人様に「悪く感じられるのか」は「自分の心の在り方」です。心学は永遠の学び、「感謝・敬愛を失わない学び」です。会場でお待ちしております。ご参加下さい、とても簡単で易(やさ)しい言葉ばかりです、だからこそ分かったつもりにならない感謝の人が出世のチャンスを得、幸運を手にする選ばれた人になっていくのです善因善果ですね。
そして明日は第11回・心に華を咲かそう会・中部地区「東日本大震災復興支援チャリティゴルフコンペ」です。明日のチャリティゴルフコンペも感謝と敬愛の行動です。実践躬行(自身の身で行うこと)が人生、行動で人様は判断し評価をするのです。是非ご参加ください。参加者の皆さんは気をつけて会場へお出かけください。明日も楽しみにしています。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。