飾らない

おはようございます。

「にんげん学」京都講座ご出席の皆さんありがとうございます。「心学」の良さはいろいろと考えられますが、「ふとしたこと、理屈で感じるのではなく、ふとした小さなことに感動する機会が増えること」かもしれません。
直接人様の話を聞いたり、物造りの現場を見なくても何か感動してしまうのです。本を書いた人に出会わずとも尊敬してしまう、優れた物を見て、作者に会わずとも尊敬できる、そして何か心が豊かになったように感じる嬉しさ、喜びを味わっています。
人が気づき何かを始めるというのはこんな感じ、思いからではないでしょうか。中学の時ふと映画を観て今の人生の緒についたことを思えばそんな気持ちがどこかにあったのではないかと懐かしく思い出しています。
「飾らない」。
何かを得たいという気持ちは自然なことではあるのかもしれません、また何かを得たいという私たちの気持ちの中に、人よりも、という気持ちの欲が在るのかもしれません。しかしこのような見栄や飾る気持ちで知識を得ていますと、いつしか「心が折れる」のではないでしょうか。
それよりも「得る喜び、知る喜び」に浸ることが「自然人柄となって好感度が増す」ように最近は思っています。心を平らにしていれば、その心の上にどのような人をも載せることが可能となり、結局はお付き合いの輪を広くできるのだと思うのです。また円周が大きくなれば当然安定度が増し、自身も人様も「安心」できるのでは?。
何かあの人と話していると安心できる、ゆったり出来るという思いをする人がおられます。そのような人は淡々と素直に生きているように感じます。ですから向かい合うこちらもゆったりとなり、包み込まれ、安心して話が出来るのです。
尖っていると何かに当たればポキンと折れたり、相手に刺さったりします。私たちの心もこれと同じです。何かで突っぱっていたり、尖って人様と接すれば、双方が傷つくのです。これでは安心感などなく、信頼関係など結びようもなく、力関係でのお付き合いで、いつか離れたい、いつか何とかしたいという不安定な付き合いとなってしまい疲れてしまいます。
飾らず素直に対することができるように感じてきたのも音読によって教えがじっくりと心身に染みこんできたからかな?などと自分一人楽しんで味わっています。今日も素晴らしい一日でありますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
「にんげん学」京都講座に行く途中、西空の雲があまりにも神秘的に感じたので。


「洋食・ぼんじゅーる」さんの昨夜の美味しいお料理ごちそうさまでした。勉強会に花を添えていただき感謝致します。心も満足、お腹も満足、来月もよろしくお願いいたします。
グリーンアスパラガスとパンチェッタのサラダ

和牛のわさびおろし

ナスのミルヒィーユカレーソースきざみトマト入り

霜降りステーキ、海老オーロラソース