終わりを

おはようございます。

今朝は愛媛県八幡浜市におります。これから高知県土佐清水市まで行きます。土佐清水はあのジョン万次郎の生まれた所。昨日伊丹空港から松山空港に、そこに八幡浜で日本一のミカンを作っています一生園のOさんに迎えにきていただきました。
佐清水は高知県でも遠い所でパソコンで行き方を検索すると宇治から13時間かかるという結果、その結果を見てどのように行けば一番スムーズに行けるかをOさんに訊ねましたところ、運転手を買って出てくれました。二日間お言葉に甘えることにしたという次第、ありがたいです、Oさん感謝します。
「終わりを慎(つつし)む」。
佐清水のIさん家族は27年来の信者さん。お父様が先日お亡くなりになり研修の予定があり、通夜、葬儀に参列できませんでしたので今日ご焼香に伺います。
27年間で片手で数えるほどしかお会いしておりませんが、ご家族そろって篤い信仰心。心華寺、愛宕寺におまいりいただいている皆様は味わっておられると思います。先日も「小夏」という美味しい柑橘をお供えくださり皆様にお下がりとしてお渡ししました。季節の珍しい物を必ずお供えくださる素晴らしいご家族。生者必滅(しようじやひつめつ)、会者定離(えしやじようり)が理(ことわり)ではありますが、やはり愛別離苦(あいべつりく)は辛いものです。
お父様の老衰が進み極楽往生できますようにと毎月108本の護摩祈願をされておりました。5日お昼12時半過ぎ、にっこりとほほえみ葉が落ちるように旅立ちましたとお礼の電話があり、直ぐにお勤めをさせていただきましたが、通夜、葬儀に参列できないことをお詫びするしかありません。
いくら仕事とはいえ辛いことです。電報を打ち、お花をお供えさせていただいても実際に行って手を合わせ焼香することでなければ、悲しいことです。正当な理屈など在りはしないのです。
もし人様の上に立つ立場となり大切にしなければならない礼儀は何ですかと問われれば「葬儀と年忌法要」と答えています(上に立つ立場でなくとも人として当然の礼儀)。去った人に対しての感謝、恩義、礼儀を失った時から「人心は離れる」のです。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」は交際上最も戒めなければなりません。人様の最後を鄭重(ていちよう)に礼を以て接することが出来なければ、大事な物を積みあげることなどは到底出来得ようもなく、積み上がるはずもないのです。
また年忌を忘れることもよろしくありません。成長の過程では誕生日や年を数えることをしても、「去る者は日々に疎し」となるようでは「恩義」ということすら死語となり、そのような礼儀知らず、恩義知らず、恩を忘れるような人とは誰もお付き合いはご遠慮したいというのが現実では無いでしょうか。
ものを言わぬ人、言わなくなった人に対してこそ、その篤実さを示すことが社員の方やご家族の方への最も大切な教訓と為します。その人の徳が家族の方や若い人に及ぶように自然なるのです。今日も皆様の一日が充実した一日でありますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
松山空港での撮影、乗ってきた飛行機。

Oさんのミカン山の段々畑の遠景。

Oさんとミカン作りの師匠。

心華寺に初摘みし奉納いただくミカンの木の前で。

八幡浜の美しい鏡のような湾。