上善如水

おはようございます。

今日午後6時から一泊二日、明日のお昼まで「自分を変える心のトレーニング」を行います。自分を変えたい、変わりたいと思っている人は沢山おられるのではないでしょうか。そのような思いをしておられる方は是非ご参加ください。
環境や場所を変えたりしますと気分が変わることは事実です。気分が変わりますと意識が変わります。また変わらないような石の地蔵のような感性ではよろしくありません、感受性が、感応が悪くては状況の中から情報をキャッチすることが出来ないからです。
「上善如水」。
「上善は水の如し」(老子)です。最高のまことの善とは、たとえば水のはたらきのようなものだ、と老子は教えるのです。私たちには水のような「柔軟性を具えているのだぞ、目覚めよ」とも。
じっくりとご自身を見つめていただけばおわかりのことと思いますが、大抵のこと、多くのことを受け入れて日常生活やお仕事をされているのではないでしょうか。そう、私たちは意外と素直であり、従順なのです。それを更に一歩進めて従順に、柔軟に生きよ、それを個性と為せ、と老子は説くのです。
私たちはこのように従順で、柔軟な生き方をしていながらも、面従腹背(めんじゆうふくはい。表面では服従するように見せかけて、内心では反抗すること)の精神で対人関係を行っていることが少なくないのです。
でありますから、どうせ従っているのであれば、一歩進めて「心から素直に誠心誠意従うべき」なのです。わざわざ人を嫌い、敵を作るような行為をしてはならず、それでは真の保心ともならず、逆に不審を買うだけとなり、又ストレスを溜めるだけであり、精神衛生上には非常に悪い影響をもたらし、出社拒否ともなりかねないのです。
「水は方円の器に従う」とも言います。水自体は「無限の形を形としている」のです。四角い器に入れられれば、四角になり、丸い器に入れられれば丸くなり、その形は自由自在、そして「水は万物の成長を立派に助けて、しかも競い争うことがない」のです。故に敵を作らず、役目を果たしながら、知らず知らずの中に無くてはならない存在と化してしまうのです。私たちの心もこの水と同じ性質を潜在的に持っているのだぞ、と老子は気づけ、悟れと静かでありながら大胆に教え諭しているのです
反発してイヤイヤ仕事をして、人生を送ったとしても碌な物にはならず、それであるならば率先して潔く真っ直ぐ受け止めて柔軟に生きる方がどんなに爽やかな人生とできるかは、理解出来るはずです。
心華寺で今と違った環境を受け入れ、どのような場、所、人様と対したとしても無心に柔軟に対応してしまう「潜在意識である水の心に目覚めましょう」。是非チャレンジください、行動がなければ何の変化もありません、お待ちしております。今日も素晴らしい一日となりますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
写真は先日神戸講座のおり空を映しました。行雲流水(空行く雲や流れる水のように、深く物事に執着しないで自然 の成り行きに任せて行動するたとえ。また、一定の形をもたず、自然に移り変わって よどみがないことのたとえ。「行雲」は空行く雲。「流水」は流れる水)。このように在りましょう。





今朝の宇治の空。