ありがたく

おはようございます。

昨日入山しました研修生の皆さんは夕方に帰ります。今も小雨がぱらついていますが、下山時は止んでくれ事を願っています。それまで一生懸命に取り組んでいただきたいと思います。
私たちの意識の底には人様からの意見を素直に受け止められない気持ちと、良いアドバイスが欲しいという二つの意識が交錯しています。
いずれにしましても、意見を言われたとき、注意をされたとき、忠告をうけたときには素直な態度をすべきことは間違いがありません。
何度も書いていますが、会社は選べても上司、先輩、同僚、後輩は選べません、会社に入って初めて出会うわけですから対人関係、応対、対応が大事です。応対、対応一つで未来への希望とするか、過去へ逃避してしまう人生と為すのかのポイントといっても過言ではないからです。
「ありがたく受け止める」。
私たちは毎日懸命に真面目に仕事に人生に取り組んでいます。何も失敗しようなどと考えている人は一人もいませんし仕事を確かにこなし成果を出そうと考えているはずです。しかし時には失敗や間違いもします。
間違いや、失敗をしてこそ真に成長していくことは間違いがありませんし、故に過ちの後には用心もし、勉強をする意識も違って来て、向上心も強くなるのです。このようになるためにも、「忠告はありがたく受け止める」ことが肝要です。
呻吟語(しんぎんご)に「我の過ちを攻(せ)むる者は、いまだ必ずしも皆、過ちなきの人にあらざるなり。苟(いやしく)も過ちなきの人の我を攻むるを求むれば、則ち身を終わるまで過ちを聞くを得ず。我はまさにその我を攻むるの益を感ずべきのみ。彼が過ちあると過ちなきときとは、何ぞ計るに暇(いとま)あらんや。」。
意は「過ちを忠告してくれる人は、必ずしも過ちを犯したことがないとはかぎらない。過ちのない人に忠告してもらおうと思ったならば、それは一生涯かかっても無理というものだ。
過ちを忠告してくれるそのことだけに、ありがたみを感じていればいいのである。忠告してくれる人が以前過ちを犯したかどうかなど関係のないことだ。」。
どんな聖人君子であっても、過ちを犯したことがない人などいません。だが、聖人君子は自分の過ちを反省の糧(かて)にして自己を磨き、その経験を他人に適切な忠告として分け与えてくれるのです(呻吟語や又は私たちが学んでいます心学、にんげん学がそうです)。そうした人からの忠告は、自分の血肉になる、血肉とできると感謝することが大事です。
私たちは忠告を受けると、「あんただって、間違いを犯しているではないかと忠告を無視してしまう愚を犯すのです」。忠告をしてくれる人は、同じ過ちを犯して欲しくないという「親切心から」であると素直に受け止めることができるようになれば、大きく脱皮し、人間的にも成長するのです。
真夏日が続いたからでしょう一昨日から蝉が鳴き始めました。梅雨は明けてませんが、もうすぐ夏本番ですよ〜と言っているようです。心静かにしていれば季節の変化が聞こえてきます。さあ脱皮して今日も充実した一日としましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。 
※7月7日(日)、禍転(わざわいてん)じて福と為(な)す、開運のご利益「大般若六百巻転読会大法要」並びに「東日本大震災犠牲者三回忌慰霊法要」を行います。午前10時半からです。於:心華寺。
午後12時から「東日本大震災復興チャリティものまねショー」。「綾小路きみまろさんのものまねと、松田聖子さんのものまね」です。大いに笑ってチャリティにご協力ください。前売り券販売中。皆様の暖かいお心、行動をお待ちしております。入場券を購入された方に「愛のヒーリングブレス」を進呈します。

また参拝者の方に暑気払い、難を転ずる、心身健康のご利益があります「南天粥」、お抹茶(菓子つき)を接待致します(数に限りがありますのでお早めにどうぞ)。
金港辯財天本堂にお祀りしております、ぼけ封じ、ぴんぴんころりのご利益がある「なで仏」と「常香盤(一日中ご本尊様へお香を絶やさないように。昔はこれで時を計っていました)」。