引く勇気

おはようございます。

「にんげん学」大阪講座ご出席の皆さんありがとうございます。どうです、老子の「押さば引け」、「反る者が道を歩んでいる」、「振り出しに戻る」の話し、話しとしては簡単ですが、生き様を確かにしていませんと、この「引く」が難しい、孔子の義に喩(さと)れということと同じで、どんなに理屈を知っていたとしても、押されますと、押し返し争い今までの苦労を無駄にして水の泡にしてしまうのです。
感情を制御することは自分しかありません、この事実に気づき、己を修めなければいけません。そのためにも日々の素読です。素読することで魂に染みこみ馬鹿な争いをせず、事の成就を図ることができるのです。論争に勝つのが目的ではないからです。仁道を実践することが私たちの歩む道だからです。
「引く勇気」。
NPO「こころのはな」、「こころのはな」を支援します「株式会社ダイバーシティ」創立が着実にすすんでいます。
長年私は僧籍に身を置き「自利は利他なり」を日課としています。比叡山時代から学校へ行けなくなった若者、会社に行けなくなった方々、いろいろな事情でやむを得ず一休みしている沢山の人と暮らしてきました。
世の中に「普通」という言葉があります。普通とは何でしょう?、普通の定義とは?、私には漠然としていますが、今の私の普通は「自分を生きる」ということです。
私は幼少年時代からいわゆる一般の世界の人達が定義としている「普通の世界では、落ちこぼれと言われておりました」。私は普通であるのですが、私に対する言葉や視線から感じられるものがとても嫌なものでした、私の僻(ひが)みか気にし過ぎだったのかもしれませんが、嫌だっことは事実です。計算はみんなのように早く出来ませんが、出来ました。でもそれが世間の普通では「出来ない」という定義。これは事実の話しですし、どれをとっても私は周囲の人よりも遅いのです。しかし私は後年「遅いだけで能力がないのではないという思考を確立しました」。
その思考原理でお陰様で今は一般の普通に見えているようです、しかし根本は何も変わっていません。新しいことをやれば同じ事で遅い。しかし落ち込まなくなっています。「自分を生きている」からです。そんな意識が仏の慈悲の世界へ入る動機付けになっていたのかもしれません。
どうして寺に在りながらNPOを設立しようと考えたのかと申しますと、「壁を感じたから」です。困っている方々が「寺」と聞いただけで、寺アレルギー、宗教アレルギー、拒否反応を起こすからです。悩んでいる、困っているにもかかわらず、門を叩いてくださらない。それが非常に残念で悲しいのです。
私は「自利は利他なり」の行動を行っています。寺の信者を作り、思想を教え込み、洗脳し寺の為に働いてもらう、などという狭い小さな考えで人様と接してきたことはありません。
目の前に悩んでいる方がこられたら、その方と一緒に歩もう、再誕しようと一緒に生活しています。またこんな話しもいたします。「世間の普通という束縛の概念を捨ててください」という話しです。特にご両親にです。
寺で生活をしたり、己を修めたりすることが「普通ではないのではないか」という疑問は慈悲の精神を知らない、自利利他の実践行動を知らない所以の「不安」です。このような不安を抱くのはもっともなことです。私は皆様にご心配いただくような活動はしておりませんのでご安心ください。例えれば病院のような活動です、病めば病院で診てもらい、治れば通わない、というのと同じ意識で良いのです。
上にも書きましたが、正しさを主張するのであれば、引くことも大事です。会話や言葉の世界で決着を付けようとしたところで、何の解決にもならないのです。それではより以上問題を複雑化し更に現実を悪化させます。
何故かと申しますと、本人さんの能力の開花、向上という視点から何も見て居らず、親や、悩んでいる本人が、世間並みに生きたいという、全く何の努力もしていないにも関わらず、世間から否定されているにもかかわらず、世間並みを言うのです。私の前で見栄を張る、私の前に来てまでも飾る、この現実が悲しくもあるのです。事実を認知しなければ何の対策も取れず、向上も出来ません。
私も幼少の頃、世間並みに友達のようになりたいと考えていましたが、何の努力も行動もしていませんでした。何故でしょう、それは普通の子どもの目が恐く、一緒に出来なかったからです。何の行動もしていない反抗心からです、ですからどんどん学校にも行かず、行けず、悪化するだけ、真実の「引く」にならず、単なる「引きこもり」になるだけとなる状況を親子で作ってしまうのです。
皆さん真実の「引く勇気を持ちましょう」。そして「自分を生きましょう」。そのために是非勇気を出して私をお訪ねください。突っぱっても何の益もありません、悪化するだけです。どうぞ「自分の普通を確認しましょう」。そのために寺を離れてNPOの設立、支援会社の設立を進めています。
このような思いで長年自利利他の生活をしてきました、そんな気持ちに賛同支援くださる方が表れ、具体的にNPOの設立が進んでいます。いわゆる共鳴者です。なぜ共鳴くださるのでしょう。
それは協力者の皆さんが悩んだり、苦しんだりしてきたからです。そのような人達が目覚めれば社会の人財になることを確信している方々です。何故でしょう、社会の多くのリーダーの方々が幼少年、青年時代に筆舌に尽くせない人生の体験者だからです。
どうぞ皆様、遅い早いで悩む愚を犯すことのない空間を作ります。人として大成する空間です。これから半年をかけて来年に開塾できるように鋭意努力してまいります。どうぞご協力ください。
お願いがあります。上記の事業に一緒に活動したい、自分の力を発揮したいと考えておられます方、どうぞお尋ねください。面接をさせていただきます。年令は問いません、教育に熱心な方大いに歓迎します。もちろんボランティアではありません、お勤めいただくのです。我こそはという方は率先して応募ください。お待ちしております。
今日も素晴らしい一日でありますよう。明日は「にんげん学」一宮講座、明後日は東京講座共に「論語を読む」です。この暑さを学ぶ情熱で吹き飛ばしましょう。各会場でお待ちしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
JR奈良線新田駅前の宇治名木百選の一つ、銀杏の大木です。逆光で面白いとおもいパチ。

大阪講座会場の上空が伊丹空港への着陸ルートになっていますのでパチ。




Kさんのサンドイッチと伊丹・寶樹庵、Yさん手作りのおまんじゅうです。毎月ありがとうございます。ごちそうさまでした。