知る

おはようございます。

「にんげん学」東京講座ご出席の皆さんありがとうございます。お暑い中感謝いたします。いつも自然に感謝しています。文句を言っていくことの出来ないいろいろな試練を用意くださるから人間性が鍛えられるのだと。
天無私(天私し無し)ですね。天がくださる試練は万人にくださるのですから、「苦労は買ってでもせよ」という言葉はありますが、買って苦労をしたいと思う人は先ずいないでしょう、私がその代表です。だからこそ文句の言っていくことの出来ない自然に感謝しなければいけません。でなければ人為による社会生活の中で己を見失わず歩んでいくことは難しいことになります。
天命です「中庸」に「天の命ずる、これ性なり」とあります。天が命じたことで可能性の扉が開かれ鍛えられるのですから、まさしく、まさしくという思いがします。天が試練を与えて下さらなければ、可能性という性にも気づかないのです。
「知る」。
論語、季氏(きし)第16、9条に「孔子曰く、生まれながらにして之(これ)を知る者は、上也(じょうなり)。学んで之を知る者は、次ぎ也。困(くる)しみて之を学ぶは、又た其(そ)の次ぎ也。困(くる)しみて而(しか)も学ばざるは、民(たみ)にして斯(こ)れを下(しも)と為(な)す。」。
意は「孔子言う、人間の天禀(てんぴん)には四通りの等差(とうさ)がある。第一に、生まれながらにしてあらゆる徳義を知り尽くしている者があるが、これが最上級である。(恐らくは聖人がこれに当たる。世々(よよ)にして出(い)ずるものではない。)第二は、学問によって知る者がその次であり、第三に、初めは学に志(こころざ)さず、いよいよ行き詰まって困った挙げ句、学問する者があるが、これが又その次である。而(しか)して第四に、行き詰まって困りながらも、学問することを知らない者があるが、これが人民の中においては最下級である。」。
孔子は嘗(かつ)て「上知(じようち)と下愚(かぐ)とは移らず。」(陽貨篇(ようかへん))と言っていますが、この章の生まれて知る者は、上知であり、困しみて学ばざる者は、下愚でありましょう。学ぶ者と学ばざる者の位置は永遠に変わらないのです、自身の立つ位置を変えたいと願うのであれば学び続けることでしか変わりようがないのです。この事実を知りなさいと孔子は「上知と下愚は移らず」と諭したのです。
私たち普通の人間は、恐らく学びて知る者か、困しみて学ぶ者の中に入るのではないでしょうか(失礼なことを書いていますがお許し下さい)。なおこの章の言葉から、生知(せいち)の人、学知(がくち)の人、困学困知(こんがくこんち)の人などの語が出来ました。
私たちはなかなかに学ぼうともしないのが実状ではないでしょうか、だからこそ困知、困ったとき、試練に遭ったとき天が命じたのだと謙虚になり学ぶべきです。
暑い日が続きますが、どうぞお大事にお過ごしください、何か良いことありますようお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
富士のお山は霞んでいても存在感があります。

渋谷駅のホームにある「日清食品どん兵衛屋」で「ぶら和尚」参加者の人達と豪華などん兵衛を、ごちそうさまでした。

砂時計で時間を計る、にくい演出、全国のどん兵衛がありました。

渋谷の「Bunkamuraザ・ミュージアム」で行われていた「レオ・レオニ絵本のしごと」を見て来ました。私の持論ですが童話は大人・親にこそ必要なものだと思っています。「レオレオニの絵本」昨日は素晴らしい「ぶら和尚」でした。

その後皆さんとお茶、「ホットチョコレート」都会は珍しいものがあっていいですね。


忠犬ハチ公です。